きょうの詩篇82篇は、「神は神の会衆の中に立つ。神は神々の真ん中で、さばきを下す。」(1節)という堂々たる宣言で始まります。82篇は、教訓の詩篇でもなく、知恵の詩篇でもありません。どんな時に用いられたのでしょうか?ユダヤの伝承によれば、神殿の中で週の第3日に朗読されたと言われています。神殿の外で、会衆に教えるのでもなく、知恵を与えるものでもなく、神殿の中で朗読され、宣言されたというのです。1節の最初の「神」は、まことの神のことですが、次の「神の会衆」の「神」はヘブル語で「力ある者」という意味であり、神は、イスラエルの裁判官や権力者を招集して、不正を告発されるという意味です。5節の「彼ら」とは、不正を行う裁判官たちのことと思われます。「地の基」とは社会の基盤です。権力者が不正な権力行使を行うと、社会の基盤が動揺することを意味していると思われます。6節の「わたしは言った」は強調をあらわしています。『神々』とは、この地上での「神の代行者」のことです。『子ら』とは、天使ではなく、地上で神の代行者として父なる神の御旨を行うべき人々を表しています。7節の「人のように」とは、ヘブル語では「アダムのように」となっています。地上で神のような尊い権威と職務を担っている者が、自己改革を怠り、不正を続け、責任を果たさないなら、その行く末には、ただの人としての運命が待ち受けているということです。8節は、詩人の祈りです。神の代行者としてのイスラエルの指導者が堕落し、反省しない状態ではイスラエルはもとより、全世界を裁くことなど、不可能です。ですから、神ご自身が全地の裁き主として力を表してくださるように求めています。
今日の聖書箇所から教えられることは、日本の国の指導者のために祈る必要です。岸田首相をはじめ、各閣僚が、正しい道を選択して、国々の祝福の基となるように祈ります。安全保障政策、近隣の国々との外交交渉、原発利用の即時停止、少子化問題、健全な経済政策など、多くの課題があります。すべての正しい解決は、リーダーたちが、創造主を知り、創造主を認めることです。私たちはそのために、執り成しの祈り手として選ばれ、立てられています。
清宣教師