詩篇86篇は、「支えを求める信仰の祈り」という、個人の嘆願の祈りとなっています。1~11節は、憐みを求めて。12~17節は、あわれみを確信して。1節と2節では、現在、自分が置かれている苦悩と窮状を、神に向かって、訴えています。3節は、自分の中には、助けをいただける根拠はなく、ただ、主の憐みを求めています。4節は、私の魂をあなたに向かって高く差し出しています。5節は、神に嘆願できる唯一の根拠は、主なる神との契約です。主は、呼び求める者に恵みをもって応えるお方ですから。6節と7節は、その契約のゆえに、苦難の中にあって、主よ、私の祈りを耳に入れ、私の願いの声を心に留めてください、と訴えるのです。8節は、人間が作りだした神々や偶像は、すべてが寄り集まっても、創造主なる神に比肩するものはありません。9節と10節は、全地の民は、創造主によっていのちを与えられたのですから、創造主であるあなたの前に来て伏し拝み、礼拝します。11節は、悩みのゆえに、心の中が混乱して集中できないので、私の心が集中できるようにしてください。12節は、ただ、ただ、感謝します。永遠に主をあがめます。13節は、恵み深い神が、私を救い出し、滅びの中から救い出して下さったからです。14節は、神に従わず、不当に、私のいのちをつけねらう、高ぶる者どもや横暴な者の群が、私の前に現われては、脅すのです。15節、しかし、私は憐み深く、情け深い神であるあなたに求めています。16節は、このしもべに御顔をむけて下さい。そして、力を与えて下さい。女奴隷の子たちはみな主人の子であるように、私たちはみな、あなたのしもべなのですから。17節は、私が、主の慈しみの契約の中にあるという証し(しるし)を公けに示してほしいと願っています。そうすれば、敵対する者たちが恥をみます。そして、私は慰めを受けます。
今日の聖書箇所から教えられることは、祈りは、神との対話である、ということです。御霊の執り成しにより、クリスチャンは、父なる神様と呼びかけることが出来ます。感謝や賛美、そして、罪の告白をすることができます。そして、その祈りを聞いて下さる、という神の約束があります。祈りは、神のいつくしみ、あわれみ、赦し、恵みの深さを知ることへと導きます。私たちも、「神のいつくしみのしるし」(17節)がある限り、敵の手によって、ノックダウンされることはありません。立ち上がることができます。清宣教師