きょうの詩篇87篇の時代背景について記します。ダビデやソロモン王の時代が過ぎ、南ユダ王国と北イスラエル王国に分裂しましたが、さらに、北イスラエル王国はアッシリア帝国に滅ぼされ、南ユダ王国もバビロン帝国によって征服されて、南ユダの民はみなバビロンに連れ去られ、捕囚の民となりました。そして、およそ70年が過ぎて、主の憐みにより、南ユダの民の一部が、祖国に帰還することが許されました。70年の歳月の間に、バビロンの異国の地で、こどもたち、そして孫たちも誕生しました。祖国ユダの地を知らない子や孫たちも、ユダの地に帰還しました。そして、子や孫たちも、約束の地であるユダにあるシオン(エルサレム)の住民として登録されました。このような時代背景のもとに、この詩篇87篇は書かれたと考えられています。1節の聖なる山とは、主の神殿があるエルサレムのシオンの丘のことです。2節の「ヤコブのすべての住まい(地方にある地方聖所)」にまさって、主はシオン(エルサレム)を愛しておられる。3節の神の都(エルサレム)の素晴らしさは、4節以降のエルサレムの輝かしい立場のこと。諸外国の民も、主を知り、主の民となるとき、シオンで生まれたものとして登録されます(5節、6節)。これは終末に成就する預言的なメッセージと考えられます。私たちも、異邦人ですが、天のエルサレムの住民として、「ここで生まれた者」として登録されます。
今日の聖書箇所から教えられることは、わたしたちの故郷は、父なる神がおられる天にあることです。「私たちの国籍は天にあります」(ピリピ人への手紙、3章20節)。「私たちは、この世では旅人であり、寄留者です」(へブル11章13節)。この地上では、苦悩、困難、問題があります。その中で、私たちクリスチャンは、主が生きておられること、確かな希望があることを証しするのです。
清宣教師