表題に記されている「マハラテ・レアノテ」ですが、「マハラテ」については、詩篇53篇にも記されていました。正確な意味は不明ですが、「病気」「なだめる」「ダンス」などの意味が推測されています。「レアノテ」は「苦しみ」という意味なので、「病気と苦しみ」を表す短調の曲と考えられています。「エズラフ人ヘマン」の名は、詩篇73篇から83篇までの表題に記されているアサフや詩篇89篇の表題に記されているエタンと共に、歴代誌第1、15章17節と19節に名前が記されています。また、歴代誌第1、25章5節では、ヘマンは、「先見者」(預言をする者)と呼ばれており、息子14人と娘3人がおり、著名な音楽家であったようです。この詩篇88篇の内容は、暗く、悲しく、深い淵からの叫びですが、しかし、絶望しているのではないことは、この詩が「神への祈り」であることです。悩みの中で、ただ、神にのみ尋ね求めるしかないという信仰をもっています。
私が牧師として召命を受けたとき、いろいろな困難がありました。しかし、そんなとき、不思議にも、チョーヨンギ牧師のメッセージを知る機会が与えられました。そこで、語られていたことは、神に召された者はみな、3種類の器に入れられて試される(訓練される)というものでした。第1の器は、「平鍋」でフライパンのように、底が浅い器でした。その中に入れられるということは、みんなの前で、多くの厳しい批判を受けるという試練でした。2番目は「底の深い鍋」だったと思います。3番目が、最後のテスト(試練)ですが、飲み口が鶴の首のようで、首のところが1回転しているのです。つまり、直接、外からの光が入らない器でした。そこに入れられると、出口が見えないので、主の答えが与えられるまで、ただじっと待つというテストでした。当時、3つの器のメッセージを聞いて、私は困難の中で大きな力をいただきました。自分が一つ一つの器に入れられて、いま、最後の器に入れられていることを知りました。そして、主によって召されていること、そのための試練であることを悟りました。そして、あとはジッと耐えて、ただひたすら、主の介入を待ちました。そして、最後に、解決をいただきました。
この詩篇の作者も、この3番目の試練の器に入れられたのだと思います。日夜、主に叫んでいるのですが、主からの答えがないのです。人間的な助けはまったく期待できない状況におかれているのです。最も深い穴にいれられているのです。そして、この詩篇88篇が、詩篇の中に収められていることから考えると、当然、最終的に、主の解決をいただいたに違いありません。
今日の聖書箇所から教えられることは、主の器は、もろもろの試練を受けることです。皆様の中には、あるいは、いま、このような試練の中にある方がおられるかもしれません。主に向かって「あなたは私を最も深い穴に置いておられます。そこは暗い所、深い淵です」(6節)と叫んでおられるかもしれません。しかし、それは、主があなたを見放されているのではなく、その反対です。主はあなたを主の信仰の器として召されているのです。その経験があなたの人生の中で最も大きな宝となります。共に、主の解決を待ちましょう。主よ。あなたに信頼します。清宣教師