きょうから、詩篇90篇、第4巻に入ります。「神の人モーセの祈り」という前書きが記されています。ずいぶん、古い詩篇です。モーセは神の中に拠り所をおいて生きた人でした。1-2節は、天地万物の創造主は、万物が存在するかしないかによらず、永遠に存在するお方であることを示しています。3節ー12節は、人間のはかなさを取り上げています。誰でも必ず死ぬという運命があります。罪を犯した人間は、神の刑罰である死に定められています。4節の夜回りのひとときとは、夜の見張りをするものが、交代で受け持つ時間のことで、今で言えば4時間です。10節に、「わたしの齢は70年、健やかであても80年。」と記されています。当時、どんなに長寿の人でも、70歳、80歳だったようです。12節に、「自分の日を正しく数えることを教えてください。」と記されていますが、誰も自分の人生にどれくらいの日数が残されているか、正確に知ることはできません。マルチン・ルターは、この節を次のように訳しています。『私たちが必ず死ぬことについて、熟慮するように教えてください。』 私たちは1日1日、最終ゴールに向かって歩んでいます。あるひとは、この詩篇の聖句から、自分の年齢ではなく、日数で表すことにしたそうです。そうしたら、1日1日がどれだけ大切か実感できるようになったと証しています。現代でも、感覚的には同じような寿命であると思います。私たちの肉体は、やがて、土の塵に帰ります。それは永遠の世界に比べれば、ほんの短いものです。だから、私たちは与えられた日々を大切に、知恵をもって生きるように勧められています。ところで、バックストン師は、12節~17節を「7つの祈り」と名づけています。文章の末尾が、○○してください、と終わっているからです。
今日の聖書箇所から教えられることは、創造主なる神と被造物である人間との対比です。21世紀に生きる人間は、あたかも被造物であることを忘れているかのように、科学技術を誇り、神を否定して、高ぶっています。しかし、私たちクリスチャンは、確かな土台の上に立っています。ですから、創造主なる神様に、今日も祈ります。「主よ。あなたの栄光を表してください。私たちの手のわざを確かなものにしてください。」。
清宣教師