今日は、詩篇93 篇です。短い詩の中に壮大な宇宙の創造主を見ます。1節~2節は、主の王座。3節~5節は創造主なる神。1節の「主は王であられ」という文章は、もともと、「主はすでに王となった」とも、「将来、王となられる」とも訳すことが出来ると言われています。つまり、主は創造の昔から王であり、将来の新天新地における王となられるお方でもあります。主は、永遠の昔から永遠の未来まで、王権を掌握されているお方です。「みいつ」とは、威厳のことです。3節の「川」や4節の「大水」は、それぞれ、複数形です。とても力強い流れが押し迫ってくる表現です。しかし、それらにまさって、創造主は、力強いお方です。「あかし」とは、神の定め、教え、律法を指しています。「まことに確か」ということは、完全に信頼して身を委ねることができることを意味しています。「聖なること」とは、民が神の聖さにふさわしく、整えられることを指しています。
今日の聖書箇所から教えられることは、川々や大水が、とどろきの声、叫び声をあげて襲ってくるような事態、まさに、人生の中で、すべてを呑込み、押しつぶすような事態が襲い掛かり、恐怖に引きずり込まれるような時にあっても、天地万物の主が、すべてを治めておられることを思い起こすことです。主の王権は、とこしえからとこしえまで、滅びることはないからです。いま、無神論やヒューマニズムの大波が、マスコミを通して、とどろきの声をあげています。しかし、彼らは滅び去ります。新天新地が訪れて、主が治められる時が来るのです。「世界は堅く建てられ、揺らぐことはありません」。
ところで、1986年1月28日のこと、宇宙連絡船チャレンジャーがフロリダから発射されて数分後に爆発しました。7人の乗務員全員が悲劇的な死を遂げました。宇宙の探査には常に危険が伴います。宇宙連絡船は高さ60階に相当する炎の柱に乗っかり、時速27万キロメートルで飛行するのです。
1967年1月27日には、アポロ1号が発射台で炎上し、3人の先駆的宇宙飛行士が悲劇的な死を遂げました。このような犠牲の上に、宇宙の開発が進められました。私たちの信仰の先達もまた、大きな犠牲を払って日本人の私たちに福音を伝えてくださいました。米国のベンソン先生ご夫妻やピーズ先生が、大きな犠牲を払ってくださり、西多賀教会が誕生したことを忘れないようにしたいと思います。清宣教師