「すべての国々よ主をほめたたえよ。すべての国民よ主をほめ歌え。主の恵みは私たちに大きい。主のまことはとこしえまで。ハレルヤ」。詩篇117篇は、最も短い詩篇なのに、世界的な規模の賛美となっています。
イスラエルの救いは全世界のためであり、それゆえに、全世界の諸国の民に、共に賛美を捧げるように招いています。今も、大祭司であるイエス様は、全人類のために、天の父なる神の前で、執り成しの祈りを捧げておられます。それゆえに、私たちの祈りが天の御父の前に届き、御父の応答が地に下るのです。
ところで、ヨハネの福音書9章1節~7節には、生まれつきの盲人をめぐる弟子たちの質問とイエス様のお答えが紹介されています。聖書は、私たちの世界観を一変させます。生まれつきの盲人を見て、弟子たちは、この人が罪を犯したのか、それとも両親が罪を犯したのか、という宗教的な質問をします。それに対して、イエス様は、きっぱり、この人が罪を犯したのでもなく、両親が罪を犯したのでもない、と否定されました。そして、それは、神のわざがこの人に現れるためです、と答えられました。それから、詳しい手順は省きますが、イエス様は盲人の目を癒されました。ここで、「神のわざ」が現われるためです、と言われましたが、この「神のわざ」とは、日本語では分りませんが、ヘブル語の原語では、複数形なのです。つまり、盲人の目が開かれることも、神のわざのひとつですが、そののちも、この人の人生に、次々と、神のわざが現されるという意味なのです。ハレルヤ。大祭司であるイエス様が、日々、私たち人類と天の御父の間にあって執り成しを続けられる限り、私たちに対する御父の恵みは尽きることがないのです。
今日の聖書箇所から教えられることは、「神の恵みは大きい」(2節)ということです。私たちクリスチャンも、イエス様と出会い、霊の目が開かれたものたちです。神の国と神の義とを生活の第1として生きる時、私たちは、日々の生活の中に、また、私たちの人生においても、私たちは次々と、神の恵みのわざを見ることになるのです。ハレルヤ。
清宣教師