今日も、「都上りの歌」という表題がついています。1節―3節は、主に信頼する人々。主に信頼する人々が「シオンの山」に例えられています。主に信頼する人々は、敵が攻め寄せても不動の山のようにびくともしません。エルサレムの周りを山々が取り囲んで守っているように、主は信仰者を囲んで守られます。かつて、エルサレムへ向かって巡礼の旅を続けてきた人たちは、エルサレムの周りの山々は、自分たちの巡礼の旅を遮るかのように、高くそびえていました。詩篇121篇1節のとおりです。しかし、こうしてエルサレムの神殿についてみると、エルサレムを囲む山々は、神の都を取り囲み、守っていることに気付くのでした。3節の[杖]とは支配と権威を象徴する言葉です。「悪の杖」は、決して正しい者の地に永遠にとどまることはなく、主が守って下さるのです。4節―5節は、執り成しの祈り。神のいつくしみと恵みによって、善良な人たちは悪の誘惑に打ち勝つことが出来ます。ですから、神のいつくしみと恵みを豊かに与えて下さることを祈っています。また、不法を行うものや、曲がった道にそれる者たちを罰してくださるように祈り求めます。そして、イスラエルの上に平和があるように、祈っています。
今日の聖書箇所から教えられることは、イスラエルの平和のための執り成しの祈りの必要性です。これは2千数百年前の時代だけでなく、今も、引き続き、祈らなければならない課題となっています。イランをはじめ、シリア、パレスチナなど、イスラエルを囲むイスラム諸国(10数か国)がイスラエルを地上から抹殺しようとの固い意志を捨てていません。そして、日常的に、イスラエル国内ではテロ事件が発生しています。イスラエルはとても困難な状況の中に置かれています。私たちの教会でも、「イスラエルの上に平和があるように」と、20年以上、祈り続けています。最初は横山隆先生を通して、その祈りの灯火がともされましたが、その後、BFPの働き、あるいは、ハイナイトなどの働きなどにより、イスラエルの実情について理解を深めてきました。改めて、イスラエルの平和のための執り成しの祈りの必要性を、主が教えて下さいました。感謝します。
清宣教師