この詩篇140篇は、いま、直面している苦境から、救い出してほしいという切なる祈りです。3つの内容から成り立っています。
1節―5節は、悪者たちの偽りの訴えから、そして、その罠や落とし穴から私を救い出してくださいと主に求める祈りです。
6節―11節は、主は私の主であるがゆえに、これらの悪者たちへの裁きがなされるようにと求める祈りです。
12節-13節は、主は真実を愛されるお方なので、必ず、悩む者を守られ、悪者には裁きをなさるという確信を表明して祈りを終えています。
今日の聖書箇所から連想されることは、御子イエス様の人生です。イエス様は天における御子としての立場を捨てて、私たちの住む地上での生涯を送られました。それはある意味、苦難の連続でした。
家畜小屋での誕生に始まり、ようやく30歳になり、福音宣教のわざが始まりました。町々、村々を巡回し、御国の福音を語り、病気の者をいやし、悪霊の支配のもとにある人たちを解放し、ある時は空腹になった大群衆たちのためにパンと魚をふるまう奇跡をおこなわれました。一方、宗教指導者の立場にあるパリサイ人や律法学者、サドカイ人たちから、執拗に反対されました。そこには国家権力を背景にした組織的な陰謀がありました。そして、無実の罪にもかかわらず、捕縛され、不当な裁判で死刑の判決を受けました。その間、保護されることなく、兵士たちから唾を吐きかけられ、あらゆる辱め、ののしり、ムチ打ちなどの不当な扱いを受けました。主イエス様は、私たちの苦難をご自分の身をもって体験されました。ですから、代々のクリスチャンたちも、イエス様の苦難を覚えて、迫害に耐えたのでした。そして、きょう、イエス様が大祭司として、私たちのために真剣に執り成しておられます。そのことを覚えて、不当な仕打ちに対して、悪をもって悪にむくいず、主の介入を待ち望み、主の御手に解決をお委ねしましょう。今日も、主に信頼して歩みます。『いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝しなさい』というみことばを覚えて歩みます。
清宣教師