今日は、詩篇142篇です。ある注解書は、「逃れの道はどこに」という題名をつけています。個人の嘆きの歌です。6節の「迫害する者」、7節の「牢獄」という語句が比喩的な表現であるとすると、具体的にどのような出来事であったか、判別することが難しいです。ただ、表題に「彼が洞窟にいた時に」となっていますので、ダビデがアドラムの洞窟にいた時か、エン・ゲディに逃れていた時のいずれか、と推測されます。
1節~4節:嘆き。私は主に向かって叫び、懇願します(1節)。主の御前に私の憂いを注ぎ出します(2節)。もはや気力も生気も失われました(3節)。どうぞ、私の右の方に目を注いて下さい(註:右は弁護者の立つところ)。そこに今だれもいません。私の魂を心配する者もいません(4節)。
5節~7節:助けを求める祈り。あなたは、私の避け所、災いの日の私の身の避け所です(5節)。わなをめぐらして陥れようとする敵から助け出してください(6節)。牢獄のような苦しみの中に閉じ込められている私を救い出してください(7節)。
今日の聖書箇所から教えられることは、神に信頼する者は、時に孤独に陥ることがあります。自分一人で孤立無援の状況に置かれることがあります。ただただ、忍耐を強いられる時があります。そこで、ひたすら主なる神様に叫ぶしかないことがあります。何度も、何度も、主に向かってお祈りし、お願いします。しかし、神様からの解決が与えられずに、気力も、内なる霊も疲れ果てて魂が暗い牢獄に閉じ込められたかのような状況に陥ることがあります。しかし、絶体絶命と思われたその時、主の解決が与えられます。そして、主にあって勝利した時、主は私たちの周りにお互いに理解できる兄弟姉妹をあたえてくださいます。そして、気づくと、「正しい人(7節)」の祝福の輪が出来ているのです。私たちも、今の試練を忍耐をもって祈り、主の勝利の時を待ち望みましょう。そして、主が理解者を備えておられることを信じて待ちましょう。
清宣教師