今日は詩篇144篇です。きょうの詩篇は、注解書では「神の与える勝利」という表題がつけられています。日本語の聖書では、どのようなときのことを詠った詩篇なのか、良くわかりませんが、70人訳(ギリシャ語)聖書には、前文に、「ゴリアテに対抗して」、という一文が付加されています。いま、ダビデは自分の手、自分の指を、じっと見ながら(1節)、自分の若いころを思い出して、あの巨人、ゴリアテとの戦いを思い起こしているのでしょうか。「主は私の恵み、私のとりで、私のやぐら、私を救う方・・・・」ほとばしるように、主への信仰を告白しています。「わが岩である主、そして、主は私の恵み、私の砦、私の櫓(やぐら)、私を救う方、私の盾、私の身の避け所、・・・アーメン」。ああ、これは私たちのことです。なんと、幸いな身とされたことでしょう。私たちは主の恵みによって選ばれ、導かれ、主の民となりました。これは、私たちの心の叫び、信仰の告白です。主はわが岩、私の恵み、私の砦、私の櫓(やぐら)、私を救う方、私の盾、私の身の避け所、・・・アーメン。私たちは、なんと幸いな存在でしょう。
今日の聖書箇所から教えられることは、私たちは、きょうも、内なる罪や肉との戦いがあります。外においては、邪悪な存在であるサタン、悪霊との戦いがあります。しかし、「幸いな事よ。主をおのれの神とするその民は。」(15節)。日本の国が、創造主を知り、創造主を礼拝する民となりますように。
今から約三百年前の3月20日、アイザック・ニュートンがこの日、82歳で死去しました。彼はロンドンのウェストミンスター寺院に王たちや王妃たちと並んで埋葬されました。彼の墓標には「このように光彩を添える偉大な人物が死すべき人類に与えられたことを喜ぼう」と記されています。彼は、創造主と聖書の霊感を堅く信じていました。彼が愛した聖書個所は、ダニエル書と黙示録でした。それらは人類の将来についての神のご計画を記したものです。ニュートンの神学的な著作の数は、彼の科学の論文よりも、数が多いのです。
清宣教師