1章1節~7節は、箴言全体の序論、1章8節~9章18節は、知恵に関する訓戒(特徴は、「わが子よ」という呼びかけです。これは教師が弟子に語るときのことばです)、教師たちのことばです。10章1節~22章16節までが、ソロモン自身の箴言です。ここには374の箴言がおさめられています。つまり、3千のうちの374ですから、ソロモンが作った箴言の10分の1程度です。22章17節~24章34節までは、知恵ある者のことばです。25章1節~29章27節は、ヒゼキヤ王の時代の宗教改革により、再発見されたソロモンの箴言をおさめたものです。30章1節からは、アグルのことば、31章1節からはマサの王、レムエルのことばです。箴言は、たしかに、大部分は、ソロモンの箴言ですが、他の人も書いています。また、ソロモンの作った箴言の一部にしか過ぎないことも分ります。
さて、旧約聖書では、知恵の原型はソロモンですが、新約に入ると、完全に変わります。知恵の原型は、キリストです。コロサイ人への手紙2章3節、コリント人への手紙、第1、1章24節、1章30節から明らかです。旧約では、知恵といえばソロモン、しかし、新約では、知恵と言えば、神の御子キリストご自身です。詩篇もそうでしたが、箴言でも、パラレリズムの文学的な技法が多用されています。パラレリズムとは、日本語では、並行法と言います。3つの種類に分けられます。第1に、同義的並行法で、1行目と2行目が同じ意味のことを別の表現で強めている。典型的な例は、箴言16章18節です。ある聖書の注解者は、単純であるが、この二つの文章の間に、神の知恵を見ると言っています。パラレリズムとは、ペアになっている、日本語では、対句といわれています。同義的な対句です。第2は、反意的な対句です。同じ意味なのですが、2行目で、反対のことを言っています。典型的な例は、10章1節です。第3は、総合的な対句です。1行目の内容を2行目で補足したり、説明したり、あるいは、展開するものです。典型的な例は16章1節です。箴言はこの3つの手法を用いて、分りやすく、語っています。
神の知恵は、ある人には隠され、ある人には分る、というように、ひとりひとりの悟りによって異なるものです。一人一人が、深く学ぶことにより、隠された神の知恵をいただくことができるように、2行の対句の中に神の知恵が示されています。つまり、神の知恵は隠されているということが、神の知恵の特徴のひとつでもあります。それを聞く人の求めに応じて、神様は悟りを与えられるからです。ルカの福音書の15章の中で、イエス様が語られた女のように、隠れている銀貨を熱心に求める時に、知恵も見出されます。神様に従う生活(人生)を送るための判断力を与えるものが、神の知恵です。「言葉は肉体となった」と語られています。神の知恵が受肉した。イエス様を通して、神の知恵は、完全に表れました。そして、神様は、もう一人の助け主、真理の御霊である聖霊さまを与えてくださいました。神の知恵は、悟り、力を伴うものです。実際に、実行させる力をもつものです。ですから、神様は、私たちに、「探しなさい。求めなさい。」と言われます。箴言の学びを通して、皆様の信仰の生活(人生)に、まことの知恵が増し加えられますように。清宣教師