1節では、「わが子よ。」と呼びかけ、3節では、「指に結び」「心の板に書き記せ」と勧めています。6章21節では、「首のまわりに結びつけよ」という表現でした。ともかくも、日常的に目につく場所に記しておいて、一日の間に何度でも、繰り返し、この教訓を覚えるようにと注意しています。それは、実際に、わきまえのない者たち、とくに若者たちは、女性の誘惑をうけると、ヘビに睨まれた蛙のように、その女性に付いて行ってしまう姿を見たからです(6節~23節)。「彼女は多くのものを切り倒した。彼女に殺された者は数えきれない」(26節)と記しています。多くの青年たちとその家族が、地獄の苦しみと破滅に引きこまれたのです。性的な誘惑は、すべての男性にとって、避けることが出来ない、大きな誘惑です。とくに、青年にとっては大きな誘惑です。両親の祈りと、家族の祈りが必要です。
今日の聖書箇所から教えられることは、とくに、若者や壮年の男性にとって、大きな誘惑であることを自覚して、あるいは、認識して、誘惑から守られるように祈る事、また、執り成しの祈りをすることの重要性です。背後には、サタンがいます。エデンの園でアダムとエバが誘惑されましたが、主なる神は、サタンと女の間に、「敵意を置く」と宣言されました。とくに、女性には、サタンの企みを見抜き、その企みを打ち砕く、執り成しの祈りの賜物が与えられていると考えられます。賜物を用いて、守りましょう。
さて、話は変わりますが、今から224年前の1978年4月2日、「天地創造」という有名な曲が、フランツ・ジョセフ・ハイドンによって、ウィーンで初演されました。この曲は、聖書とミルトンの「失楽園」から採られた歌詞を用いていますが、聖書の創造物語の壮大さと神秘性を見事に表現しています。芸術もまた、私たちの創造主の栄光をほめたたえる素晴らしい方法になることを証しています。
オリジナル賛美を通しても、また、生け花やそのカードなどを通しても、創造主のみわざの素晴らしさを伝えることが出来ます。オカリナの演奏を通しても、絵画を通しても、挿絵や、デコパージュや、さまざまな手段があります。皆様の隠された主の賜物を、どうぞ、主の栄光の証しのために用いてください。
清宣教師