13章も、反意的パラレリズが大部分を占めています。「富んでいるように見せかけ、何も持たない者がいる。貧しいように見せかけ、多くの財産を持つ者がいる。」(7節)。ほんとうにそうだな、と思います。「急に得た財産は減るが、働いて集める者は、それを増す。」(11節)。「急に得た」は、原文では「理由もなく」と訳すことが出来ます。自分の手ではなく、ギャンブルや宝くじなどで富を得ても、それが自分自身を滅ぼすことになった例は実にたくさんあります。「期待が長びくと心は病む。望みがかなうことは、いのちの木である。」(12節)。他人を期待させておいて、それを果たさないなら災いをもたらす行為となってしまいます。一方、早く望みをかなえてあげるなら、その人を励ます行為となります。「知恵のある者のおしえはいのちの泉、これによって、死のわなをのがれることができる。」(14節)。イエス様こそ、まことの知恵の教師です。イエス様を信じるなら、その人の心の奥底から、いのちの泉が湧き出るのです(ヨハネの福音書、7章37,38節)。
さて、「悪い使者はわざわいに陥り、忠実な使者は人をいやす。」(17節)。私たちが、人と人との間にたち、仲介の役割をするとき、偽りをもって両者を仲たがいさせるなら、それは災いです。一方、真実をもって両者を仲直りさせるなら、それは癒しの立派な働きです。「知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける。」(20節)。知恵は知恵を生みだし、愚かさは、害毒をうみだすものです。「善良な人は子孫にゆずりの地を残す。罪人の財宝は正しい者のためにたくわえられる。」(22節)。神様から善良である、と認められた人は、子孫にゆずりの地を残します。しかし、罪を犯し続ける者の財産は、神様が介入される結果、その人の子孫ではなく、正しい人へと受け継がれることになるのです。「むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。」(24節)。親は子を育てるために、その子が間違ったことをした場合は、ムチをもって懲らしめることをためらってはならない。そうでないと、自己中心の手におえない大人に成長してしまいます。「正しい者は食べてその食欲を満たし、悪者は腹をすかせる。」(25節)。悪者は、その欲望に限りがないので、決して満腹することがありません。しかし、創造主を知る人は、満ち足りることを知っているのです。
今日の聖書箇所から教えられることは、日常生活の中で、創造主のみこころを行うことの大切さです。クリスチャンは真理を知っています。真理とは、その人が自分の生活の中で具現化したときに、初めて真理となります。もろもろの真理、もろもろのみことばを知るだけでなく、実践することです。
清宣教師