今日の20章は、まず、1節において、強い酒の害について述べています。ノアの失敗(創世記9章21節)の実例があります。祭司たちは、職務を遂行するとき、ブドウ酒や強い酒を飲むことを禁じられていました(レビ記10章9節)。「これに惑わされる者は、みな知恵がない」と言われます。今でも、飲酒運転などで事故を起こして職を失う人がいます。知識では知っていても、知恵がないと自制心を保つことが出来ないのです。やはり、真の知恵であるイエス様との交わりを通して、真の知恵をいただく必要があります。次に、6節ですが、私たちは、口先だけの親切に惑わされることもあります。正しい判断力が必要です。12節では、「聞く耳と、見る目とは、二つとも主が造られたもの」と指摘されています。目も耳も、ふたつとも、悪の誘惑の伝達手段になりますが、もともとは創造主の作品です。創造主の栄光を表すために用いる時に、豊かに祝福されます。14節では、買う前は何とかあら探しをして売り手の値段を安くさせようとするのですが、いったん買ってしまうと、お得な買い物をしたと自慢するのは、昔も今も変わりません。21節では、急に得た相続財産は、自分で汗水流して得た財産ではないので、無思慮に浪費してしまい、なかなか、自分の祝福にはつながらないことが多いのです。22節では、悪をもって悪に報いてはならない、という原則が記されています。これはローマ人への手紙12章19節で「自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい」と記されているとおりです。26節の「車輪」とは、麦ともみがらを分ける脱穀車の車輪のことです。28節では、王権を支えるものは、権力や軍事力ではなく、神の恵みとまことである、と強調しています。29節は、若い男の誇りは、彼らの力、能力にありますが、高齢者の誇りは、財産や名誉ではなく、神が与えられた長寿のしるしである「しらが(白髪)」を彼らの飾りとすべきである、と述べられています。
今日の聖書箇所から教えられることは、聞く耳も、見る目も、働く手も、歩く足もみな、創造主の作品です。そして、食べるにも飲むにも、何を成すにも、主の栄光を表すために用いるように勧められています。とても大事なことです。それを実行する時、健康も繁栄もついてくるのです。
清宣教師