箴言22章です。「富む者と貧しいものとは互いに出会う。これらすべてを造られたのは主である。」(2節)。もし、創造主が豊かに富を与えて下さったのなら、貧しい人との出会いがあるときに、知らんふりをすることができません。
それは、主のみこころを実現するために、主が、私たちを富ませて下さったからです。そして、主のみこころを果たすなら、さらに、主は私たちのふところに、溢れるほどに、揺すりいれるほどに与えて下さるのです。「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」(6節)。「その行く道にふさわしく」と書いてあります。人それぞれに、能力も賜物も興味も違います。それを見出して教えてあげることは、とても、有益なことです。そのような適切なアドバイスは、その若者が年老いてからも、その人生に豊かな実りを与えることでしょう。「なまけ者は言う『獅子が外にいる。私はちまたで殺される』と」(13節)。いろいろ心配して、思慮深いようですが、結局、それは思慮深さから来るのではなく、ただの怠け者の性質から来るというのです。あまりにも思い煩いが多いと、何もすることが出来なくなります。それは、恐れから来るというよりも、その人の怠け者の心から来ることもあるようです。「私はあなたのために、勧告と知識についての30句を書いたではないか。」(20節)と記されています。「どれが30句だろう?」という疑問が湧いてくると思います。その答えは以下の通りです。22章22節、23節から始まり、24章21節、22節までの30句です。①22節、23節。②24節、25節。③26節、27節。④28節。⑤29節。そして、23章へと続くことになります。
今日の聖書箇所から教えられることは、私たちの目標は、「寛大な心の持ち主」、「喜んで分かち合う心の持ち主」になることです。創造主は、あらかじめ、私たちを創造主のかたちに似せて造られましたから、すでに土台はあるのです。あとは、御霊の働きを信じて、イエス様の似姿へと変えられるように祈りつつ、待ち望むことです。
清宣教師