箴言25章ですが、1節には、「次もまたソロモンの箴言であり、ユダの王ヒゼキヤの人々が書き写したものである。」と記されています。ヒゼキヤ王の時代は、ソロモンの時代からは、かなり、後の時代です。ソロモン王の在位期間は、紀元前971年から931年でした。それに対して、ヒゼキヤ王の在位期間は、紀元前715年から686年です。およそ、250年後のことです。ご存じのように、ヒゼキヤ王は宗教改革を断行した、信仰に燃えた王でした。列王記第1、4章32節には、ソロモンは3千の箴言を語ったと記されています。ただし、ソロモン王は、治世の後半においては堕落して、偶像礼拝などを行っていました。それで、ヒゼキヤ王は、3千の箴言の中から精査して、神のことばとして受け継がれるべきものを再編集して、ここに付け加えたのではないかと思われます。
今日の25章にも、もろもろのアドバイスや真理が散りばめられています。その中で、ひとつを取り出してみます。冒頭の2節に、「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ。」(2節)と記されています。王とはソロモン王のことを指していると考えられます。ソロモン王は神から非常に豊かな知恵と英知をいただいた王です。しかし、その王であっても、知り尽くすことが出来ない深い奥義が隠されているのも事実です。それは、人間の知恵が、どんどん進んだとしても、全能なる神は、さらに極めつくすことが出来ないことを隠される神です。 人間には知り得ない、極めつくすことが出来ない神の叡智のみわざがあるのです。そして、最後には、ご自分をも隠されるのです。イザヤ書45章15節には、「イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自身を隠す神。」と記されています。創造主にして、贖い主なる神は、人間の知恵で極めつくすことが出来るようなお方ではありません。しかし、一方では、私たちの神は、ご自身を現される神です。友として親しく語りかけて下さるお方です。
今日の聖書箇所(1節~3節)から教えられることですが、まず、神は、私たちに対して、自然界(神の作品)や聖書(神のことば)を通してご自身を顕してくださいます。しかし一方では、私たち被造物には、決して知ることが出来ない無限の叡智と愛をもったお方でもあります。主は信頼されるべきお方です。
清宣教師