今日の30章の1節には「マサの人ヤケの子アグルのことば。イティエルに告げ、イティエルとウカルに告げたことば。」と記されています。マサとは、地名であるとすれば、創世記25章14節に記されており、イシュマエルの子孫が住んでいたトランス・ヨルダンの一地方と考えられます。ただし、マサが地名ではないとすれば、マッサー(神の啓示)という意味になるようです。ヤケ、アグル、イティエル、ウカルの人物については、残念ですが、時代、出身地などは全く不明です。この章で最も有名と思われる聖句は、8節―9節です。「不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、『主とはだれだ。』と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。」。結婚式の祝いの席で引用される聖句です。また、私たちの実際生活の中で、節目節目に思い出して祈る祈りでもあります。そのほか、30章には分り易く、しかも、ユーモアのある表現が出てきます。「飽くことを知らないもの」(15節、16節)。「不思議なこと」(18節~20節)。「耐え難いこと」(21節~23節)。「小さいが知恵のあるもの」(24節~28節)。「堂々としているもの」(29節~31節)。最後の方は少し風刺が入っているように感じます。
今日の聖書箇所(5節、6節)から教えられることは、たくさんの箴言を残し、知恵と知識に満ちていたソロモン王であっても、「神のことばは、すべて純粋」であるから「神のことばに付け足しをしてはならない」ということを言いたかったようです。神のことばに人間の考えが混じると不純なものになってしまいます。純粋なみことばを受け取りましょう。
神のことばに人間の知恵を付け足した例は、創世記1章の創造の6日間の解釈に見ることが出来ます。多くの神学者が、進化論の解釈を取り入れて、創世記1章の1日を、文字通りの1日ではなく、数10万年から数億年という長い年代を指しているという解釈をするようになりました。これは、神のみことばに混ぜ物をした代表的な例といえます。もちろん、創造の御業は、文字通りの1日の積み重ねの6日間で行われたのです。
清宣教師