今日から、伝道者の書に入りました。伝道者の書はルターが「慰めの書」と呼んだものです。一方、詩人ハイネは「虚無の書」と呼びました。伝道者の書は誤解されやすいので、あらかじめ伝道者の書の本質的なことを指摘させていただきます。本書は、決して「空の空」を肯定しているのではありません。伝道者の書の視点は、あくまでも「日の下」、「天の下」あるいは「地上」での視点です。「日の下」は、伝道者の書のキーワードのひとつです。本書では、日の上、つまり、天の視点は度外視されており、あくまでも、この世だけに限定した視点で語っています。つまり一言で言えば「神なき人生の空しさ」を描き出しているのです。しかし、実際には、この世を超えた神の世界があるわけで、それが「慰めの書」と呼ばれる理由です。本書は神なき人生を肯定しているのではなく、その空の空の世界を描き出して、そこから、聖書全体へ、つまり、日の下では矛盾だらけでも、実は神にあっては矛盾のない世界があり、真の喜びや希望がある世界へと導く役割を果たしているのです。さて、前述したとおり、伝道者の書のキーワードの一つは、「日の下」ということばですが、本書に29回出てきます。また、同じ意味合いのことばとして、「天の下」とか、「地上」ということばも用いられています。本書はあくまでも、この世のことだけに限定して考えた場合の見方です。その向こうにこそ、永遠の世界があるのですが、それは度外視しています。空の空、ヘブル語で「息」という意味です。詩篇144:4、ヨブ記7:16にも出てきます。もともと、息という意味で、消え去るもの、空しいものを表しています。本書では、空しい(へベル)が34回も出てきます。これも、本書のキーワードのひとつです。ところで、「益」(2章11節、3章9節など)ということばが出てきます。ヘブル語でイスローンです。これはもともと商業用語で「余剰金」という意味ですが、本書では、「本当の価値あるもの」という意味で用いています。日の下では、この「益」、人生の本当の価値を見出すことが出来ないと主張しています。
今日の聖書箇所から教えられることは、神なき人生は空である、ということです。しかし、イエスは、「わたしが道であり、真理であり、命です」、と言われました。生ける神、キリストを信じるなら、空しく生きることはありません。清宣教師