さて、7章ですが、良い名声は良い香油にまさる(1節)とあります。名声はその人の内側にある人格を意味しています。それに対比して、香油は人の外側を飾るものです。外面的な飾りではなく、内側を飾りましょう(ペテロの手紙、第1、3章3、4節)。結婚の祝宴の家よりも、喪中の家に行くなら、すべての人に必ず死があるということを覚える事ができる。悲しみに会うことはうわべだけの人生ではなく、心の奥深い人を成長させてくれる(2、3節)。人生を真剣に考えるには喪中の家、叱責(悲しみに相当する)を尊重すること(4,5節)、いばらは威勢良く、ぱちぱち、音を立てて燃える。いかにも、燃えているという感じ。けれども、人生を深く考えないで笑っているものは、空威張りのようだ。しいたげによって圧迫されて屈してはならない。まいないによって滅びてはならない。ものごとの終わりは、人にはわからない。それにもかかわらず、傲慢になり、結論を勝手に出してしまって、神を呪ったり、人を呪ったりすることはとても愚かなことだ。いらだって、結論をだすことなく、神が結論を出されるまで忍耐して待つこと、これが謙遜である(6節―9節)。昔は良かった、と言っても現在、直面している問題の解答は出てこない(10節)。資産を伴う知恵、知識には益がある。曲がったことがあっても、神が曲げたものなら、人は直すことができない。忍耐をもって解決を待つことである(13節)。
普通、多くの場合、順境の日には、人は高慢になり、逆境の日には絶望する。そうではなく、順境の日も(これも)、逆境の日(あれも)、神のなさることであるから、いらだつことなく、受けいれることである。神様は、すべてに、目的をもってなさっておられるのだから(14節)。両極端ではなく、中庸の道がよい(15節―18節)。ひとのことばを気にしてはいけない。あなた自身も、イライラして、他人を呪ってしまうことがあったに違いない。その人も、同じだから、根に持って恨んではならない(19節ー22節)。
23節―29節は、今日の個所の結論です。神様のみこころを知り、それを行いたいのにできない。神は人を正しく創造されたけれども、私たち人間はあれこれ、あれこれ、理屈を並べて、神を認めない。神に背を向けて生きている。そこには空しさだけが残る。人間の理屈(さまざまな学問も)には解決はない。伝道者の書の全体の流れは、「日の下」(神なき人生)における人間が、あらゆる理屈を並べたてているように思われます。それでも、求道者として生きています。それは空しい探求の道です。しかし、それに終止符を打つ時が来ます。伝道者の書の12章の1節であり、13節です。
今日の聖書箇所から教えられることは、イエス・キリストこそ、唯一のほんものの道であり、ほんものの真理であり、ほんもののいのちです。聖なる神の御子、全能なるお方、天と地の創造主なる神、無限の叡智と真の愛をもって全世界を創造されたお方、イエスさまこそ、ただ一人、礼拝されるべきお方です。
清宣教師