今日の5章1節で、花婿と花嫁が一つ部屋に入ります。そして、花婿(夫)は、花嫁(新妻)の決断を受け入れて、花嫁(新妻)の全ての魅力を自分のものとします。こうして、夫と妻は、ひとつとなるクライマックスを迎えます。花婿(1節):花婿は、宴会に招かれた友人たちに呼びかける。「食べよ。大いに飲め。」。2節以降8節までの内容については、ふたつの解釈があります。ひとつは、あまりにも早い夫婦喧嘩なので「夢である」と考えます。もうひとつの解釈は、現実に起こったことであると考える解釈です。
新妻(2節―8節):ただし、2節のカギカッコの中は、夫のことばである。1節と2節の間には、しばらくの時がある。2節は、新婚早々、夜の帰りが遅い夫の帰りを待つ妻の心境を描いている。眠ってはいたが、夫の帰りを待つ、心配で心はさめていました。すると、戸を叩く夫の声が聞こえてきました。「わが愛する者、戸を開けておくれ、私の娘よ、汚れのない者よ」。夫の帰宅に、ホッと安心したのか、これまで心配して待っていた自分の不安が、怒り?に変わる。「私は着物を脱いでしまったし、足も洗ってしまった」。そうすると、外で待っていた夫が待ちきれず、のぞき窓から手を入れて、カギを外そうとする。しかし、のぞき窓からではカギを外すことができない。そうこうするうちに、妻は起きて、夫を迎えるためドアを開けるのだが、夫は背を向けて去って行ってしまった。その時の夫のことばに、妻は気を失ってしまった。ここで、気を失うとは、気が動転して魂がどこかへ行ってしまった状態をいう。それで、妻は夫のあとを追い、夢中で、暗い街へと出ていく。しかし、そこで、夜回りに発見されて、打ちたたかれる。それで、エルサレムの女たちに、一緒に探してほしい、そして、「私が愛に病んでいる」と伝言してほしいと頼む。合唱隊(9節):合唱隊(エルサレムの女たち)が、これに答えます。少し、皮肉がこめられているようです。あなたは、あなたの夫が、優れていると言っているけれども、どこが優れているのですか。花嫁(10節―16節):合唱隊の問いかけに対して、新妻は答えます。どんな男の人も及ばない夫の姿をほめたたえます。合唱隊(6章1節):合唱隊(エルサレムの娘たち)は、「それでは、私たちも、あなたと一緒に、その方を探して差し上げましょう」と申し出ます。
今日の個所は、現代の夫婦関係にもあてはまるように思います。些細なこと(?)で、新婚家庭が早くも危機に瀕することです。夫は、仕事の都合で「帰宅が遅れる」という事前の連絡もなしに、遅く帰宅します。妻は、さんざん待たされたことへの仕返し(?)でしょうか、ほんの少し、すねて、待たせてみようと思ったようです。しかし、思わぬ展開となりました。この場面では夫は過失です。一方、妻は自分の意志で夫を待たせました。やはり、自己中心の選択は、その実を刈り取ることになるようです。どちらかが自己中心の立場を改めればよいのですが、夫も妻も、自分中心の立場を譲らない時に、結婚関係は危機に瀕するのです。主の守りを祈る必要があります。清宣教師