新妻(10節):新妻が、私は城壁(純潔)を守ってきました。私の夫を十分に満足させることが出来るものになりました。「もう、わたしは夫に平安をもたらすほど成長しました。」と感謝のことばを語っています。
ナレーター(11節):解説。ソロモンはブドウ畑をもっていた。広大なブドウ畑を貸して、ブドウを売って銀1000枚を得た。畑を守った者には銀200枚を与えた。
新妻(12節):妻はソロモンに代わって葡萄畑を管理して、夫にも労働者にも利益をもたらしました。家の良き管理者でした。
夫(13節):夫は新妻の美しい姿を自分の仲間に見せたいと思い、私の仲間たちがあなた(新妻)の声を聞きたがっているから、彼らを私たちの家に招こうと、新妻に提案している。
新妻(14節):新妻は夫の提案を拒否している。私の愛する夫よ、カモシカや若い鹿のように、急いで帰ってきてください。仕事の仲間などと交わらないで、急いで、急いで、帰ってきて、私を求めてください。妻の願いは、夫とふたりだけの時を過ごすことでした。「私の愛する方よ。急いでください」。
この雅歌は、最初に述べましたが、ユダヤ教では、神と神の民であるイスラエルの間の愛の物語として、カトリックでは寓話的にとらえて、神の御子イエス様と教会との愛の物語として、プロテスタントでは二人の男女の愛の物語として理解しています。もちろん、聖書はイエスについて証するものですから、私たちも、キリストを花婿、教会を花嫁として、ふたりの愛を述べていると理解するものです。
今日の聖書箇所から教えられることは、黙示録の最後は、雅歌の最後と同じように、花婿の「わたしはすぐにくる」に対して、花嫁である教会の「主イエスよ。来てください」という応答で閉じられています。雅歌は論理的に説明することは難しい個所です。男女の愛が描かれています。イエス様の救いの福音も一応の理解は出来ても、それをうけいれるかどうかは、ひとりひとりの決断にかかっています。理屈ではなく、神様を人格的に受け入れる時、神様との親しい関係に入ることが出来るのです。
清宣教師