さて、イザヤ書に入りました。イザヤ書は、旧約聖書の中で新約聖書に引用されている聖句が最も多い書です。とくに、救い主(メシヤ)に関する預言が多いので、ある人は、イザヤ書を「第5福音書」と名付けているほどです。また、次のようなことを言っている方もいます。イザヤ書は、前半(1章―39章)と後半(40章―66章)では内容が大きく異なります。イザヤ書66章は聖書全巻66巻を表していると言います。イザヤ書1章から39章は、あたかも、旧約39巻のようです。そして、40章からは、回復の預言に入りますが、40章から66章までの27章は、あたかも、新約27巻のようです。イザヤ書1章は、神の民の反逆に始まる創世記のようです。イザヤ書の66章は新天新地の回復であり、ちょうど、新約聖書の最後の黙示録22章の新天新地の回復のようです。なるほど!!!私もこれを聞いて驚きました。
さて、当時の国際状況は、北方のアッシリア帝国が次第に強大な力により、領土を拡張していく過程にありました。南には、これまたエジプト帝国がありました。アッシリアの最終目標はエジプトの占領でした。エジプトもまた、最終目的はアッシリアの征服でした。イスラエル(北王国)とユダ(南王国)は、この北と南の二つの帝国に挟まれており、その時その時の力関係により、アッシリアあるいはエジプトの侵略に脅かされていました。アッシリア帝国のティグラテ・ピレセルⅢは、他国民を占領した時、その国民の指導者、貴族、技術者などを自国の領土内に移民させる政策を採用しました。それはのちのバビロン帝国にも引き継がれていきました。こうして、やがて、北イスラエル王国は、アッシリアに捕囚の民となります。のちには、南ユダ王国もバビロンの時代に捕囚の民となりました。北イスラエル王国の民は再び帰還することがありませんでした。しかし、南ユダ王国の民は、バビロンの捕囚の地から帰還することができました。イザヤ書40章以降の回復の預言の通りでした。北王国はアッシリアに対抗するため近隣のアラム王などと反アッシリア同盟を結ぶ政策を選びましたが、南王国ユダは、政策が定まらず、親アッシリア政策をとったり、親エジプト政策をとったり、ころころ、政策は転じていました。このような状況の中で、主の預言者イザヤが活躍したのです。なお、イザヤ個人の情報としては、イザヤはアモツの子であり、妻は預言者(イザヤ8章3節)であり、二人の子がいました(イザヤ7章3節参照)。預言者としての召しをうけたのは、ウジヤ王の時代でした(イザヤ6章参照)。一応、イザヤ書についての説明は、この辺で閉じます。
清宣教師