2章の最後で、「鼻で息をする人間を頼りにするな」と語られていたが、3章1節で、具体的に、「支え」「たより」「頼み」としているパンや水、つまり、勇士、預言者、長老、指導者たち、さばきつかさのことである。南ユダの人たちは、優れた政治家、経営者、軍事力、指導者のゆえに、自分たちは平和と繁栄を造り出したと大言壮語し、高慢になっていた。しかし、4節、5節で、主は裁きを宣告された。指導者はいなくなり、若い者が指導者となる。6節、7節では、だれも指導者になるものがなくなる。医者とは、直訳では「包帯をまくもの」であるが、みな自分のことで精一杯で、民を癒そうという者はいなくなる。8節、9節で裁きの原因を語る。それは民も指導者も主に背いて逆らったことである。10節、それでも義人は報いを受ける。11節、12節、裁きの一つは、指導者が取り去られること、4節では若い者と言われていたのに、ここでは、幼子が指導者となる言われている。つまり、幼子の背後で、私利私欲をむさぼるものが、思うように支配する。13節―15節、主は裁きつかさ、長老たちを裁かれる。ブドウ畑とはイスラエルのことである。指導者たちが、イスラエルの民たちを、とくに、貧しいものを食い物にした罪が問われている。16節~24節、エルサレムの婦人たちの間に流行となっている飾り物、ここでは21種類の飾り物を挙げている、彼女たちは、外面的な装飾に夢中になっている。20節のくるぶしの鎖とは、女性が小股であるくために、両足のくるぶしの間を鎖を結ぶ飾り物をいう。外面的な飾り物に熱中して、主から心が離れているので、24節―26節のように、裁きをうける。香水は腐った臭いとなる。女たちは飾り物を失い、勇士たちは戦いで死んでいく。神の裁きがなされるのである。
今日の聖書箇所から教えられることは、現在の日本の首相や閣僚のため、あるいは、ウクライナやロシア、また、米国や中国や北朝鮮などの政治的指導者のために、執り成しの祈りをすることの重要性です。牧場の羊の群れの幸不幸は、その群れの羊飼いに依存しています。悪しき指導者に苦しめられることがないように、主のみこころが天において成るように、この地になるように、心を合わせて祈りましょう。
清宣教師