主は生きておられます!!
1節―2節、ブドウ畑、どんなに愛されて、ブドウが育てられたことか。それで、甘いブドウの実を待ち望んでいた。しかし、その実は酸いブドウの実であった。「酸い」とは忌み嫌う、悪臭を放ち、食べることも飲むことも出来ないものを意味している。3節―6節、これ以上、何もなすことが出来ないほど、愛を注いで育てられたブドウ。悪い実はどこから来たのか。もうブドウ畑を放棄せざるを得ない。荒れすたれるままに任せる以外にない。7節で、1節~6節の例え話の解き明かしをしている。ブドウ畑はイスラエルの家、そのブドウの木はユダの民である。甘い実(公正と正義の実)を望んだのに酸い実(流血と泣き叫び)を生じるのみであった。
8節―25節、「ああ」とはヘブル語で「ホーイ」である。ホーイの原意は、「災いだ」である。イエス様が、パリサイ人たちに、「災いだ」と語られたことを思い起こさせるような文である。ここで6回、「ああ」(災いだ)が出てくる。①6節、②11節、③18節、④20節、⑤21節、⑥22節です。①家に家を重ね、自分の利益しか考えない民、②朝早くから強い酒を飲んでいる民、③嘘を手綱としている民、④悪を善、善を悪という民、⑤自分を知恵ある者とみなす民、⑥酒をのみ、わいろを取る民、指導者も民たちも、みな堕落している。酸いブドウの実を結んでしまった。24節、「それゆえ」、25節「このゆえ」と語るように、これらのすべての堕落をもたらした者たちの結末は、さばきしかない。主のみおしえをないがしろにし、あなどったので、炎が枯草を燃やし尽くすように、裁きがなされる。26節~30節、遠くの敵国、ここでは、アッシリアの手によって、イスラエルやユダが裁かれることが預言されている。
今日の聖書箇所から教えられることは、主はつねにご自分の民を愛し、育てておられることです。それに対して、私たちがその恩恵に十二分に感謝するのか、あるいは、当然のこととしてその恩恵を無視してしまうのか、それが決定的な分岐点となります。私たちも、救い主イエス様の恵みと愛に対して、きょう、大きな感謝をもって応答したいと思います。
清宣教師