イザヤ書45章1節~4節は、私が47歳で牧師として召命を受けたときのことばです。聖書のみことばは、私たちの人生を導き、新しい人生へと転換させる大きな力をもっています。
1節~7節のテーマは、クロス王の使命です。ここでは、主が直接、クロス王に語っています。つまり、時空を超えて、150年後のペルシャのクロスに対して語っています。主の御口から出た言葉は決して空しく地に落ちることはなく、時空を超えて、必ず実を結ぶのです。油注がれた者とは、本来、メシヤという呼び名です。イスラエルの国の祭司や王や預言者たちが、油注ぎをうけて、その職に任じられるためでした。ここでは、異邦人の王であるクロスに対して、「油注がれた者」と呼んでいるのは、聖書では例外的なことです。同時に、主なる神は、公平なお方であり、たとえ異邦人であれ、ご自分の目的のために正しく用いることが出来るお方であることを明らかにしています。主はイスラエルの民を解放するために、クロス王に勝利と成功と繁栄を与えられました。主こそ、創造主であり、みこころのままに、平和をつくり、わざわいを創造されるお方であることを示されました。
8節~13節のテーマは、創造における主権です。44章23節において、イスラエルの贖いの御業を讃えるように命じられた天と地ですが、主の正義と救いをもたらした創造主がほめたたえられています。一方、被造物が創造主にむかって刃向うことは、ありえないことです(9節~10節)。ところが、神によって生み出されたイスラエルの民は、いろいろと理屈を並べて、創造主の約束に対して異議を唱えているのです。イスラエルは高ぶり、創造主のみわざを疑うのですが、それでも主はイスラエルの民をバビロン捕囚から解放されると約束されました(11節~13節)。
14節~19節のテーマは、イスラエルの救い主です。天地万物を創造された神は、御計画のままに、地球を人間の住みかとして創造されたお方です。人には分らなくても、創造主は明確な計画をもって万事を進めるお方です(16節)。しかし、ある時には、創造主はご計画を隠したまま、実行に移されます(15節)。ここでは、主は預言者イザヤを通して、バビロン捕囚からイスラエルの民を解放するという計画を明らかに示されました。主が、そのように語られた限り、主は必ず、そのことを成就されるのです。
20節~25節のテーマは、諸国民への呼びかけです。「わたしの他に神はいない」と宣言されます。「逃亡者たち」とは、クロス王の攻撃から逃れた民たちだけでなく、神の裁きを免れる異邦人たちをも含めるものです。偶像礼拝に陥り、主の裁きを受けるべき人たちに対しても、主は、悔い改めて、主に立ち返るように呼びかけています。また、イスラエルの民はみな、主との契約により、義と認められ、主を喜びとして誇るようになるのです。
今日の聖書箇所から教えられることは、私たちは、創造主に愛され、信頼され、宣教の使命を委ねられたものたちです。きょうの日常生活の中でも、みことばを反芻して、創造主をほめたたえましょう。清宣教師