昨日の51章9節で、「さめよ。さめよ。力をまとえ。主の御腕よ。」という民たちの願いが記されていましたが、それに答えるかたちで、今日の52章は「さめよ。さめよ。力をまとえ。シオン」という主のこたえから始まります。1節~6節のテーマは、シオンの回復です。主の裁きの時は過ぎ去り、解放が与えられます。聖なる都にふさわしく、美しい衣を着るように、主は命じておられます。もはや、無割礼の者たちによりエルサレムが汚されることはありません。主は「たたで売られたのだから金を払わずに買い戻される」(3節)と宣言されました。かつて、エジプトの地からイスラエルの民を救い出された神が、今度はバビロンの捕囚から民を救い出されるのです。7節~12節のテーマは、喜びの歌です。バビロン捕囚からの解放です。これはバビロンからの解放であると同時に、主の民を罪の束縛から解放される罪の贖いのみわざでもあると預言者イザヤは理解し、喜び、賛美しています。当時の状況は、まず、良い知らせ(福音)は、高い山から山へと大きな声で伝達されていきました。そのように、平和を知らせる「主がシオンに帰られる」という福音は、エルサレムのシオンにも届きます(7節、8節)。主の裁きにより荒廃していたエルサレムですが、主の御腕により救いが与えられます(9節、10節)。主は、バビロンに捕囚されている神の民に対して、「去れよ。去れよ」と、バビロンの汚れた地から出るように命じられます。また、主の器を担う者たち(11節)とは、バビロンがエルサレムを占領した時に持ち去った主の宮の器を携えてエルサレムへ帰るようになる者たちのことです。そして、その脱出のみちのりは、主によって守られるので、あわてることなく、堂々と出てくるように命じています。13節以降は、53章の「苦難のしもべ」の描写につながるものです。
今日の聖書箇所から教えられることは、私たちも人間中心主義の罪の世界から救い出されたことです。創造主を認めない、神抜きの世界から解放されたことです。主は、わたしたちを罪も呪いもない天の御国の一員として迎えて下さいました。一方的な神の恵みによって、全き義の衣を着せて下さり、聖なる者として下さいました。そして今、罪の支配する世界に遣わされ、それぞれの場所で生きています。私たちの未来は定まっています。ですから、主の約束を握りしめて、落ち着いて、生活することが主のご計画です。清宣教師