イスラエルでは、多くの子を産むことが神の祝福の表れと考えられていました。ところが、いま、ここエルサレムでは、バビロン捕囚により、夫は捕虜となり、ひとり、残されている。もはや子を産む希望もない。ここにどうしようもない悲しみの現実があります。しかし、主は語られました。バビロンの捕囚が終わるとき、あなたの悲しみは終わり、あなたには多くの多くの子どもたちが与えられる。だから、その住まいの場所を拡げなさい(1節~4節)。あなたの夫はあなたの造り主、万軍の主である。いま、あなたは主の裁きを受けているが、それはほんのしばらくの間である。いま、あなたは夫に捨てられた女のような孤独、寂しさを感じている。それは自分の罪の故であり、避けられないものである。しかし、その一時的な裁きが終わるなら、主は永遠に変わらない愛をもって私たちを憐れんで下さる。主の変わらない愛が、私たちをつかんではなさない。いま、一時的な試練の中にあるが、それを通して、神の永遠の愛を知るためである(5節~8節)。苦しめられている女よ、あなたは慰めを受ける。あなたを、すべての宝石で飾ってあげる。これはエルサレムの回復の預言であり、また、私たちひとりひとりへの回復の約束のみことばでもある。これからはあなたを攻める者があっても、それは、主から出たことではない。だから、あなたはその敵に立ち向かうことができる(9節~15節)。あなたの敵、サタンから出たものであるから、あなたは戦いなさい。私たちは、主の十字架の贖いのみわざによって救われたのであるから、主の義をうけることができる。主の義は、私たち一人一人への神様からの賜物である。主の義をまとい、敵と戦うなら、あなたは勝利することが出来る(16節~17節)。
今日の聖書箇所から教えられることは、霊的戦いの土台です。私たちは、「永遠に変わらぬ愛をもって、あなたを憐れむ」という約束の中で生かされている者です。「わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない」という約束の中で生かされている者です。「あなたは義によって堅く立ち、しいたげから遠ざかれ。恐れることはない」という約束の中で生かされている者です。神の御子は、私たちひとりひとりの罪過を背負われて、十字架のうえで、私たちの罪を贖って下さいました。主の十字架を通して与えられる尊い賜物である主の義を受け取りましょう。主の義に堅く立って、敵に勝利しましょう。清宣教師