きょうの個所は、時系列的には34章に続く内容となっています。さて、1節をみると、南ユダを征服したバビロンの王ネブカデネザルは、エコヌヤ(エホヤキン)王を廃位させ、ゼデキヤを王に任命して治めさせました。しかし、ゼデキヤ王は主のみことばに従おうとしませんでした。エレミヤを通しての宣告(主の裁きに服し、バビロン王に仕えよという宣告)を無視し、バビロン王に反逆しました(2節)。その結果、バビロンのネブカデネザル王は大軍を率いて南ユダに攻め入り、エルサレムを18か月包囲しました。その時期のことであると考えられます。さて、バビロン軍が、エジプトの軍勢の動きを知り、エルサレムの包囲を解いて、一時、退却したことがありました。その時、主は、預言者エレミヤを通して、必ずバビロン軍は引き返してくることを伝えました(3節―10節)。また、この時期、エレミヤは故郷のベニヤミンの割り当ての地を決めるために、ベニヤミン門(北の門)から出ようとしたとき、門番のイルイヤによって、バビロンに逃げ延びようとしている嫌疑で逮捕され、首長たちも、激しく怒り、打ちたたいて獄にいれました。もちろんエレミヤは濡れ衣であると反論しましたが、誰も耳を貸しませんでした。おそらく、北の門から出たので、北のバビロン軍のところに行くものと考えたようです(11-16節)。さて、ゼデキヤ王は、ひそかに、人をやってエレミヤを自分の許に呼び寄せて質問しました。エレミヤは「あなたはバビロンの王の手に渡される」と宣言しました。それから、書記ヨナタンの獄には返さないように王に願いました。王は、エレミヤの願いを聞き入れて、書記ヨナタンの獄には返さず、エレミヤを監視の庭に入れさせました(17-21節)。王は、預言者エレミヤを無視することが出来なかったようです。なぜなら、エレミヤのことばは的確に成就したからです。エレミヤは、王に言いました。「バビロンの王は、この国を攻めない」と言った預言者たちは今どこにいますか。「バビロンは来ない」と預言した者たちは、何の咎めも受けず、うまく立ち回っていたのです。一方、主のことばを忠実に伝え、その預言が成就しているにもかかわらず、エレミヤは、獄に入れられ、打ちたたかれ、死の危険を覚悟しなければならなかったのです。偽りの預言者は、王や民衆の仲間なので、偽りのことばをもって惑わしたにもかかわらず、何の責めも受けないのです。自分たちの仲間の間では偽りがあっても打ちたたくことをせず、仲間でなければ真実を語る者を打ちたたくのです。
今日の聖書箇所から教えられることは、世界の歴史が語り、日本の歴史も語るように、真の預言者が受ける報いは、為政者と世の人たちからの非難と投獄です。戦時中、平和を求める牧師たちや再臨信仰に立つ牧師たちが逮捕され、投獄されました。また、世間の人々から売国奴とののしられました。今日でも、米国やカナダでは、同性愛のカップルの結婚式を行わなかったということで、聖書に立つ牧師たちが逮捕され、投獄されています。日本でも同じような状況が起こるに違いありません。しかし、主は、真の預言者たちに対して、天における素晴らしい報いを用意されておられます(マタイの福音書5章11節~12節)。
清宣教師