今日の47章の時代背景としては、1節で「パロがまだガザをうたないうちに」と記されています。しかし、この事件が歴史上のどの出来事をさしているのかは、明らかではありません。しかし、内容的には、「北から水が上ってきて」(2節)と記されていますから、北から侵入してくるバビロンの軍勢を指していると考えられます。「荒馬のひずめの音、戦車の響き、車輪の騒音」(3節)などと言う表現はバビロン軍の強力な軍備をよく示しています。例えば、エゼキエル26章7節に記されているバビロン軍の描写に似ています。ツロとシドンという都市の名前がでてきますね(4節)。これらの地名は、イスラエルの西方の地中海沿岸の都市で、ペリシテの国のすぐ北隣にあります。ツロとシドンは、フェニキヤに属する主要な商業都市でした。難攻不落な都市で有名でしたが、そこまでバビロンの支配勢力が及ぶと言うのです。古来、ペリシテ人は、地中海の文明と密接な関係を持ってきた民族です。カフトルの島(4節)とは、おそらくクレテ島の周辺にある島であると考えられます。実はペリシテ人は、古く、そのカフトル島から移住してきた民族であると言われていますから(アモス書9章7節の6行目を参照のこと)、その島とはよく行き来してたのだろうと思われます。一方、ガザとアシュケロン(5節)は、ペリシテの国の主要な都市であり、ペリシテの誇りでもありました。しかし、バビロン軍の前には滅びると言うのです。最後の6節、7節ですが、「主が剣に命じられたのだ」(7節)という表現から、これは単なる偶然ではなく、主なる神がなされる審判として、つまり、主の剣としてバビロン軍がペリシテの地を攻撃するのだということを、もう一度明確に示しています。
ある意味、現在の中近東の情勢は不透明で、ロシアやアメリカが裏にあり、トルコ、EUの国々などがからみ、複雑な情勢になっています。あたかも、諸国の思惑の中で翻弄されているように見えます。しかし、全能なる主は、見ておられるのです。かつての大帝国も驕り高ぶる時には、裁きをうけました。バビロン帝国も、ペルシャ帝国も、ギリシャ帝国も、ローマ帝国も、そうでした。もう少し近代になると、トルコ帝国、ナチスのドイツ帝国も、大日本帝国もそうでした。いまは、どうでしょうか。
今日の聖書箇所から教えられることは、やはり、日本の国においても、私たちクリスチャンが、日本の国の歩みのために執り成し祈る必要があるということです。創造の秩序に反する原子力エネルギーの利用や遺伝子組み換え技術の利用、あるいは、同性婚の受け入れなどをやめて、創造の秩序を維持する道を選択し歩むことができるように、執り成し祈りましょう。
清宣教師