22章は、エルサレムが流血と偶像礼拝の罪によって満ちており、その罪が具体的に列挙されています。1節―16節では、エルサレムの町のすべての階層に満ちあれている罪が糾弾されています。17節―22節では、エルサレムは「るつぼ」であり、住民は「かなかす」となったと指摘しています。「るつぼ」にいれられた青銅、すず、鉄、鉛などの様々な金属は、君主、預言者、祭司など、いろいろな種類の人をさしています。彼らは主のさばきによって、価値のない「かなかす」であることが明らかにされます。23節―31節で、預言者たち、祭司たち、首長たちの堕落した姿を指摘します。そして、有名な聖句が登場します。30節です。「わたしがこの国を滅ぼさないように、わたしは、この国のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口を修理する者を彼らの間に探し求めたが、見つからなかった。それで、わたしは彼らの上に憤りを注ぎ・・・」と言われました。
現代のクリスチャンは、破れ口に立って、日本の国と世界のために執り成しの祈りをする使命が与えられています。「主の祈り」において、私たちは「御国が来ますように」と祈っています。これは現実の問題に直結している革命的な祈りなのです。私たちの祈りは、いのちを与える力を天から地へと解き放つ働きです。神の正義が、この世のシステムに侵入し、善を解き放つために、この地球の霊的大気に裂け目を作る働きです。
ところで、話は変わりますが、今から77年前の今日、1945年10月8日、アメリカの発明家パーシー・スペンサーがこの日、最初の電子レンジの特許をとりました。マイクロ波を生じる電子磁電管はすでに速度違反取り締まり用の速度測定器として用いられていました。スペンサーは電子磁電管が水の容器の側でかなりの熱を発することに目を付けました。そして、最初の作品として紙の袋でポップコーンを作ったのです。それから、日常生活で使われる電子レンジへと発展しました。最初は小さな発見が、やがて大きな変化へとつながります。日々の聖書のみことばの発見が、私たちの日常生活や人生に大きな影響を与えることになるのです。期待しましょう! 聖書のことばは、あなたに良い変化を起こす力があります。
清宣教師