エゼキエル書36章ですが、1節~15節は、イスラエルの山々、つまり、イスラエルの国土が回復されるという預言です。16節~28節は、イスラエルの国土に住むイスラエルの民が回復されるという預言です。29節―38節は、イスラエルの民が霊的に回復されるだけでなく、物質的にも祝福されるという預言です。36章は、回復の預言ですが、具体的にはバビロン捕囚からの帰還を意味しています。
ところで旧約聖書の預言というのは、山々の嶺に例えられています。ある山の山頂に上ると、目の前に、また、さらに高い山の嶺が見えてきます。そこで、高い山の山頂に上ると、また、目の前に、さらに高い山の嶺が見えてきます。つまり、目の前の嶺が、さらに、高い嶺、さらに、高い嶺と重なっていたのです。イスラエルの民の回復と言えば、出エジプトがありました。そして、今回は、バビロンからの帰還です。しかし、それから、数百年後、再び、エルサレムは、ローマ軍によって滅ぼされて、イスラエルの民は、全世界に離散の民となりました。しかし、1948年5月14日、イスラエル共和国が誕生して、イスラエルの民は、エルサレムへと帰還してくるようになりました。回復の預言は、これらのすべての帰還を含んでいます。ダブっているのです。つまり、バビロン捕囚からの帰還で成就したものがありますが、成就していなかったものは、これから、成就すると考えられます。25節―27節の霊的回復の預言は、イエス様の十字架と復活、そのあとの聖霊降臨(先の雨)により成就しましたが、その完全な成就は、終末時代の聖霊の降臨(後の雨)による大リバイバルをも指していると考えられます。最後の方に記されている物理的、経済的な祝福の回復も、一部、成就しましたが、完全な成就は、これから起こると考えられます。
話題は変わりますが、預言と言えば、終末の預言、とくに主イエスの再臨の日がいつであるかということは、昔から注目を集めている預言でした。今から178年前のこの日、つまり、1844年10月22日に、世界の終末が来ると、米国の宗教指導者のウィリアム・ミラー(1782-1849)が預言していました。再臨を待望していた信者は、大きな失望を味わいました。確かに再臨に備えることはとても大事なことです。そして、すでにイエス様の再臨が近いというしるし(サイン)は、いろいろな事柄を通して与えられています。ただし、私たちが、再臨の日を特定することは、行き過ぎなのです(マルコによる福音書、13章32節)。清宣教師