エジプトのプトレマイオス王はシリヤ軍を捕虜として連れて行き、この勝利が彼を高慢にしました。再び、エジプトがイスラエルの地への支配権を得ました。彼が死に、息子のプトレマイオス5世が4歳で王位につくと北のシリヤの王アンティオコス3世がこれを好機ととらえて、再び、エジプトを攻撃しました。紀元前205年のことです(13節)。アンティオコス3世は、さらにマケドニヤのフィリッポス王と同盟を結び、エジプトからの独立を夢見るイスラエル人の一部を巻き込んで、エジプトを攻撃しました。しかし、この夢は失敗しました(14節)。一方、プトレマイオス5世は、エジプトの将軍スコパスによって大軍をもってシリヤと戦い、イスラエルの地の奪還をはかりましたが、シリヤ軍に敗れてシドンに逃れました。シリヤ軍は紀元前198年、シドンを陥落させました(15節)。シリヤはさらにイスラエルの地を攻略しました(16節)。アンティオコス3世は、エジプトを自分の支配の中に完全に得ようとして、娘のクレオパトラをエジプト王プトレマイオス5世に嫁がせました。しかし、クレオパトラは父に背き、夫の味方になり、アンティオコス3世の政略は失敗しました(17節)。そこで、シリヤのアンティオコス3世は地中海の島々を占領しました(18節)。ローマは、「ひとりの首領」ルキウス・スキピオを立ち向かわせ、シリヤ軍を打ち破りました。アンティオコス3世はシリヤに帰りましたが、ローマから多額の賠償金を課せられ、国民の反感をかって殺されました(19節)。「彼に代わってひとりの人が起こる」とは、アンティオコス3世に代わったセレウコス4世(紀元前187年―175年)のことです。彼はローマに賠償を払わなければならず、財源となる税をとりたてるために、イスラエル(パレスチナ地方)に大臣を派遣しました。この大臣ヘリオドルスによって、セレウコス4世は暗殺されました(20節)。21節―35節は、アンティオコス・エピファネスについて預言されています。「彼に代わってひとりの卑劣な者が起こる」(21節)とは、セレウコス4世に代わってシリヤの王となったアンティオコス・エピファネスのことを指しています。セレウコス4世の子が王位をつぐことに反対して、正当な王位継承者ではなかったにもかかわらず「巧言を使って」王位を自分のものとしました。ダニエルは、アンティオコス・エピファネスについて、詳しく記していますが、これは終末にあらわれる反キリストの予表としての意味をもっていたからと考えられます。アンティオコス・エピファネスは紀元前175年から164年まで、11年間王でした。彼は王位につくことに反対して押し寄せてきた洪水のような大軍を一掃しました(22節)。エルサレムの大祭司オニアス3世を退けて、自分に都合のよいヤソンを立てて、神殿の中においてさえ、主なる神を冒涜する行為を行わせました。しかし、それは『時が来るまでの事である』と記されているように、神の時が満ちるまでの事です(24節)。彼は大軍勢を率いて南の王プトレマイオス・フィロメトールに立ち向かいました。そして、南の王もまた大軍勢を率いてこれと戦いました(25節)。しかし、エジプト王は部下の裏切りによって敗北しました(26節)。続く。