アンティオコス・エピファネスは自分をエジプトの王とも名乗りました。しかし、エジプトもシリヤに徹底抗戦する構えを示したので、アンティオコス・エピファネスはエジプトの王フィロメトールと講話を結びました(27節)。エジプトの王の部下の裏切りで勝利を得ることが出来た第2回エジプト攻略のとき、アンティオコス・エピファネスは多くの財宝を略奪しましたが、エジプトの反撃が強まるにつれて、エジプト攻略を断念して、その多くの財宝を携えてシリヤへの帰途につきました(28節)。その途中でエピファネスは、エルサレムでの反乱のニュースを知り、エルサレムへ向かい、エルサレムを制圧して、財宝を略奪し、多くのユダヤ人を殺戮して、帰国しました(28節)。その後、エピファネスは再び、エジプト遠征を試みましたが、うまくいきませんでした。それはキティムのローマ海軍がそれを阻止したからです(29節、30節)。エピファネスは、大敗の帰途、腹いせに、エルサレムの神の民aを迫害し、神殿を汚し、供え物を取り除き、豚を供え物として捧げ、さらに、エルサレムのギリシャ化に取り組みました(31節)。エピファネスは、律法に従わないユダヤ人たちを、巧みなことばで堕落させましたが、主に忠実な人たちは堅く立って、信仰を貫きました(32節、33節)。エピファネスは背教者たちを取り立て、ギリシャのゼウスを礼拝させ、ギリシャ的な供え物や儀式を行いました。しかし、多くの背教者が起こるような状況にもかかわらず、神を恐れるものたちは、長い間、剣に掛かり、火に焼かれ、囚われの身となり、略奪され、激しい艱難の中におかれましたが、さらに多くの人々に神のみことばを教えて、信仰に堅く立ちました(33節)。この事件は、紀元前168年に起きたマッカバイオスの反乱への預言と思われます。これは主を愛する祭司マッティアスが神の民が受ける迫害をみて起こした乱でした。多くのユダヤ人は巧みなことばをもってマッカバイオスの側につきました。しかし、このような反乱によって神の民を守ることはできず、定めの時をまつしかないのです(34節、35節)。36節―39節は、エピファネスを型とした終末の反キリストに関する預言です。世界の統治者として現れます。全世界的な規模での統治を行い、あらゆる神々に優って自分を神として位置づけます。彼は「とりで」の神をあがめます。つまり、「軍事力」こそ、彼の神であり、経済力が神のようにあがめられます(38節、39節)。『外国の神の助けによって』(39節)とあるので、反キリストはユダヤ人の中から現れるのではないかと予想されます。彼は外国の神の助けによってエルサレムを取り、反キリストのために功績をあげたものに、反キリストの支配権と領土の一部を分け与えます(39節)。終わりの時に、エジプトを中心とした南の勢力が、反キリストに戦いを交えます。その混乱に乗じて、ロシアなどの北の勢力が、麗しの地(イスラエルの地)まで攻め入ります。(41節)。北の勢力は多くの国を従わせ、エジプトも征服します(42節)。ルブ人(リビヤ)とクシュ人(エチオピア)が北の王と行動を共にします(43節)。しかし、北の勢力が勝利に酔っているときに、東と北(パレスチナの北方のもうひとつの勢力)がイスラエルに向けて軍隊を派遣します。(44節)。北の王は、東と北からの脅威に備えて、地中海とエルサレムの間に本営を置き、備えますが、ついに、彼の終わりが来ます。だれも、彼を助けることは出来ません(45節)。これに関連した預言は、エゼキエル書38章14節―16節に記されています。これによると、「イスラエルが安心して住んでいる時に」、と預言されています。イスラエルが1948年に建国されてから、まだ、和平がなされていません。反キリストが終わりの日に現われ、イスラエルと近隣諸国の和平を成し遂げる時、平和の君として、反キリストはあがめられ、そのとき、不意に、北からの連合軍によるイスラエルへの大規模な侵略が開始されるものと予想されます。清宣教師