さて、アモスのキーワードのひとつは、「公儀と正義」です(5章24節)。イスラエルの指導者には「公儀と正義」が求められています。王は、主の任命により、油注ぎを受けて、王となります。主という漢字は、王という漢字の上にチョンが付いてます。主とは、王を任命する主であるということを表しています。それは、主が「公儀と正義」を行う神であるように、主に任命された王たちは、この地上において「公儀と正義」を行うためでした。しかし、イスラエルの王たちは、真逆のこと、つまり、暴虐と暴行を繰り返しました(10節)。だから、神の裁きをうけるのです。また、南ユダと分裂したときから、ヤロブアム1世は、べテルに勝手に神殿を建てて、そこに金の子牛の像を作り、民たちに拝ませました(14節)。それからほぼ200年たちました。その間に20人の王が王位につきましたが、だれひとり、金の子牛を排除するものはいませんでした。それゆえに、北イスラエルは、アッシリアによる裁きを受けることになるのです。
清宣教師