さて、きょうのアモス書4章の出だしは、私の悩みなど吹っ飛ばす、強烈なことばで始まっています。1節―3節:「聞け。このことばを。サマリヤの山にいるバシャンの雌牛ども。」今、アモスが語っている場所は、イスラエルの貴婦人たちの酒宴の場です。日本でいえば、江戸城の大奥の宴席のようなものです。酒宴の席が大いに盛り上がり、自分の主人たちに「何かもってきて、飲ませよ。」(1節後半)つまり、「酒、持って来い」と気炎をあげている場所でした。そのような場所には似合わない預言者アモスが、大声で語り始めました。「聞け。このことばを。サマリヤの山にいるバシャンの雌牛ども。」バシャンの雌牛は、牛の品種名で、「脂肪が豊かで、肉が肥えている牛」でした。貴婦人たちに対する強烈な皮肉、侮辱のことばで始まりました。こんなところで酒を飲み、うまいものを食べて、贅沢三昧の日を過ごしている、それはみな貧しい者たちから搾取した富によるのではないか。アモスは、主に代わり、怒りをもって厳しく糾弾し、主はあなたがたを裁き、ひとりひとり、捕囚の民として連れて行くことになると宣言しました。4節―5節:ここも皮肉です。べテルやギルガルは、偽物の主の宮があり、そこには主なる神と称して、金の子牛を祭って、礼拝していました。朝ごとにいけにえを捧げ、3日ごとに十一献金を捧げる、熱心な礼拝がささげられていました。しかし、すべて、宗教的な儀式であり、主が忌み嫌う偶像礼拝でした。しかし、彼らはそれが主への礼拝であると主張していました。それで、皮肉です。「ますますそむけ、捧げよ。捧げよ」と宣言します。イスラエルの子らはそうすることを望んでいるからです(5節後半)。6節―11節:同じパターンで、5回の繰り返しがあります。最初のことばが「わたしは、○○をした。」で始まります。その締めくくりは「それでも、あなたがたは、わたしのもとに帰って来なかった。」ということばです。最初は、飢餓(6節)、次に、干ばつ(7節)、立ち枯れと黒穂病、いなごなどの農作物の病虫害(9節)、疫病、戦争(10節)、地震(11節:ソドムとゴモラのような炎の裁き)など、主は、イスラエルの民に対して、裁きの程度をあげていきました。しかし、5段階のレベルをあげていっても、イスラエルの民は主のもとに帰りませんでした。12節―13節:それで、「わたしはあたなにこうしよう」と主が言われました。5段階のレベルよりさらに大きな裁きです。その内容については触れていません。しかし、5つの裁きに対して比べ物にならない大きな災いがくるとの不気味な宣告です。だから、「あなたはあなたの神、主に会う備えをせよ」と言われます。まことの主なる神とは、金の子牛などではなく、山々を造り、風を造りだし、・・・地の高い所を歩まれる方であり、万軍の主、つまり、天の軍勢の司令官であるお方です。主は、私たちが主のもとに帰るのを願っておられます。日本人も、アダムの子孫であり、主の御計画の中でいのちを与えられ、生かされています。創造主なる神にあう備えをすべき人々です。日本の国民が創造主を知り、創造主のもとへ立ち返り、創造主を心から礼拝する民になりますように。
清宣教師