3章でニネベの町の異教徒たちを扱われた主は、今度は、ご自分のしもべヨナに目を留めて、取り扱われました。それで、ある注解者は、4章の表題を「神のしもべを取り扱われる神」としました。
さて、ヨナの働きは異邦人の首都ニネベの町において、もの凄い悔い改めの旋風を巻き起こしました。誰一人想像できなかった大きな変革が引き起こされました。アッシリア帝国の王に始まり、すべての大臣、家臣、国中の人たちが悔い改めました。しかし、そのような神の奇跡の御業を見ても、ヨナは不満だったようです。「なぜ、災いを下されないのか」。駄々っ子のような、預言者ヨナの激しい怒りに対して、主は、一本の「とうごま」を生えさせて、ヨナの不機嫌を直そう!!!!とされました(4章6節)。直訳では、不機嫌から救い出そうとされた、という意味です。私たちの主なる神様はなんと、素晴らしいお方でしょう。参考までですが、「とうごま」とは、別名「ひま」です。ひまし油がとれる植物です。私も栽培したことがありますが、とても成長力が旺盛で、春に種をまくと夏には大きな葉をつけます。まさに、ヨナ書4章に記述されているように、日陰になるほどの大きな葉です。
さて、そのあと、主は「とうごま」を枯れさせました。そのことはヨナに死を願うほどのダメージを与えました。しかし、この実物教訓を通して、主はヨナを諄々と諭しました。「主は仰せられた。『あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこの「とうごま」を惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。』」。こうして、主は、駄々っ子のようで聞き分けのない預言者ヨナに対しても、忍耐をもって接して下さいました。預言者ヨナの欠点は、自己中心的で、かつ排他的であったことです。私たちも、ともすると、自己中心的であったり、排他的であったりして、創造主のみこころを理解しようとしない場合があります。「祈りがきかれない」といって腹をたてることもあります。ひょっとしたら、ヨナのように、神様の前に「死んだ方がましだ」などといって、神様の同情をひこうとしたことがあるかもしれません。それでも、神様はわたしたちに付き合ってくださり、いろいろな方法で、諄々と諭して下さるお方です。清宣教師