今日の個所の2章1節~3節は、悔い改めて生きよ、というメッセージです。恥知らずの国民に対して、主の前に、今の生き方を悔い改めて、「主を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。」と勧めます。4節~15節は、近隣諸国に対する裁きの宣言です。4節―7節では、ペリシテ人の代表的な都市の名前を、南から北の順に、ガザ、アシュケロン、アシュドテ、エクロンと名指しで挙げて、滅亡することを預言しています。8節―11節では、モアブとアモンの滅亡を預言しています。それは神の民であるイスラエルの民を罵ったからです。その裁きは、彼らの高慢の故です(10節)。そして、すべての偽りの神々を消し去ります。そのとき、人々は気付いて、自分たちのいるところで主を礼拝するようになるとの希望のメッセージが述べられています。12節は、クシュ(エチオピア人)の滅亡の預言です。13節~15節は、アッシリアの滅亡の預言です。ニネベは、「私だけは特別だ」と大言壮語した町でした。しかし、彼らは滅びると預言されました。そして、その預言の通りに、滅びました。
ところで、私がまだ20代の時、神谷美恵子氏(1914-1979年)の本と出合いました。「なぜ、わたしではないのですか」といったような題名だったと思います。その時、私は、深い感動と共感を覚えました。神谷美恵子氏は、さまざまな苦悩の人生を経てのち「私の一生はただ恵みをうけるための器だった」と結論しています。神谷氏はハンセン氏病(いわゆるライ病)の患者さんと向き合い、その人生観が大きく変えられました。「癩(ライ)者に」という題名で、以下のような詩を書いています。「光うしないたる眼うつろに 肢うしないたる体担われて 診察台にどさりと載せられたる癩者よ、 私はあなたの前に首を垂れる。あなたは黙っている。 かすかに微笑んでさえいる。 ああしかし、その沈黙は、微笑みは 長い戦の後にかち得られたものだ。運命とすれすれに生きているあなたよ、 のがれようとて放さぬその鉄の手に 朝も昼も夜もつかまえられて、 十年、二十年と生きてきたあなたよ。 なぜ私たちでなくあなたが? あなたは代わって下さったのだ、 代わって人としてあらゆるものを奪われ、 地獄の責苦を悩み抜いて下さったのだ。許して下さい、癩者よ。 浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、 そこはかとなく神だの霊だのと、聞こえよき言葉をあやつる私たちを。かく心に叫びて首をたるれば、 あなたはただ黙っている。 そして痛ましくも歪められたる顔に、 かすかなる微笑みさえ浮かべている」。神谷美恵子氏は、ハンセン氏病の患者さんの中に、イエス様のお姿を見て告白したのです。役に立つか、役に立たないか、というようなこの世の価値観ではなく、その人の真の姿をみているのです。この世の価値観から完全に解放された見方です。この感覚をもって生きるときに、イエス様が導いてくださる真の謙遜の入り口に立っているのではないかと思いました。
明日は新年です。イエス様の前で、新しい心で新年を迎えましょう。
清宣教師