さて、今日のルカ23章には、私が最初の伝道集会で、イエス様を信じる決め手になった聖句が含まれています。23章34節です。「イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分で分らないのです。』」というみことばです。当時17歳の私でしたが、憎しみをもっていました。だから、憎しみに対して愛によって応えるイエス様の生き方に言いようのない感動を覚えました。そして、この方は間違いなく神の御子であると信じることが出来ました。
以前、テレビで日米の二人の人物についてドキュメンタリの番組が放映されたことがあります。一人は、アメリカ人で、ジェイコブ・デシェーザー(Jacob DeShazer)です。彼は真珠湾攻撃をうけたことを憎み、卑劣な日本人を皆殺しにしなければならないと思い、日本本土への初の空爆に参加しました。これは日本を空爆した後は、本国には帰れず、そのまま中国に飛んで不時着するという計画でした。その結果、中国の日本軍の占領下にあった地域に不時着して捕虜となりました。しかし、拘留中に仲間がなくなった時、看守の日本人がバイブル(聖書)を差し入れてくれたことがきっかけで、このルカの福音書23章34節のみことばに出会い、日本人を憎んでいた自分の姿を悔い改めて、イエス様を信じる信仰に入りました。戦後、自分が爆撃した名古屋において、教会を建てて、イエス様の救いの福音を伝えるとともに、日米の戦争について、相互に理解することが平和の道であることをも訴え続けました。
一方、日本の海軍機動部隊の精鋭360機を率いハワイ奇襲作戦を陣頭指揮し、成功させた淵田美津雄大佐は、その後、ミッドウェー海戦で重傷を負い、原爆投下直後の広島では被害調査に従事し、厚木基地にマッカーサーを迎え、ミズーリ号での降伏調印式に立ち会った人物です。彼もまた、米国人を憎んでいました。そのようなとき、1948年に宣教師として来日していた元空軍軍曹のジェイコブ・デシェーザー宣教師の書いたパンフレットを読み、そして、ルカの福音書23章34節と出会いました。彼もまたそのみことばに悔い改めを迫られて、1951年、洗礼を受けました。その後、淵田は1952年から1957年まで8度にわたりアメリカへ伝道の旅に出かけました。キリスト教の伝道をする淵田には海軍仲間の批判、アメリカのリメンバー・パールハーバーの声、元特攻隊が刀を持って押し入るなどの障害がありましたが、しかし淵田は、戦争は互いの無知から起こったとし、互いに理解するため戦争の愚かしさ、憎しみの連鎖を断つことを訴えました。1966年、米国の市民権を得ました。一方、ジェイコブ・デシェーザーも、淵田美津雄と協力し10年間、北海道から沖縄まで日本中を伝道し、1977年に本国に帰国し、オレゴン州で伝道を続けたと言われています。主は、みことばをもって人生を変えて下さいます。主のみわざを賛美します。
主の御霊は、私たちのうちに豊かな御霊の実を結ばせてくださいます!