カナは、ナザレから数km離れたところにありました。1章からの続きで、イエス様が伝道を開始される前の、ある1週間の出来事が記されています。ある日(1章19-28節)、その翌日(29節ー34節)、その翌日(35節―42節)、その翌日(43節―51節)、そして、それから3日目(2章1節―11節)となります。ある注解者は、婚礼は水曜日に行われていたことを考えて、この1週間の出来事の曜日まで特定している人もいます。さて、この水をブドウ酒に変える奇跡は、最初のしるし(第1の奇蹟)と記されています(11節)。ヨハネの福音書には、7つの奇蹟が記されており、最後のしるし(第7の奇蹟)が、ラザロのよみがえりの奇蹟(11章44節)です。
さて、ガリラヤのカナにある家で、婚礼が行われました。どちらかというと裕福ではない家であったようです。途中で宴会のブドウ酒が足りなくなったのですから。母マリヤは、花嫁あるいは花婿のどちらかと親戚だったようです。母マリヤは宴会のお手伝いに指示をだしています(5節)。それゆえに、イエスと5人の弟子たちも婚礼に招かれたようです。婚礼の宴会は、忙しい現代とは違って、何日も続くものでした。途中、ブドウ酒がなくなりました。ブドウ酒がなくなることは、花婿にとって、とても、不名誉なことで恥でした。そこで、母マリヤがイエスに言いました。「ぶどう酒がありません」。すると、イエスは母に「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」と答えました。イエス様の心の中には、天の御父に従う思いがありました。御父の許しがなければ奇蹟をすることが出来ませんでした。お母さんの計画はお母さんの計画であり、イエス様は神の御子として、御父の計画に従う使命をもっていました。ですから、わたしと何の関係があるのでしょう、と答えました。「女の方」とはギリシャ語で『ギュナイ』です。ローマの皇帝アウグストがエジプトの女王クレオパトラに対して「ギュナイ」と呼びかけたことが知られています。尊敬の意味をもった呼び方です。しかし、母マリヤは、手伝いの人たちに「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」と命じました。ある意味、宴会の途中でブドウ酒が足りなくなったことの原因のひとつとして、イエス様と5人の弟子、つまり、6人ものゲストが飛び入りで招かれたこともあると考えたのでしょうか。母マリヤはイエスに解決を委ねました。そこには、お客さんが招かれた時、手を洗うための清めのための水がめがありました。ほぼ100リットルの水ガメが6つありましたが、すべて、清めに使われて空っぽでした。イエスは、その水がめを水でいっぱいに満たすように、彼らに言いました。彼らは水がめを縁までいっぱいにしました。そして、「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」と言いました、それを味わった宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わって驚きました。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」こうして、花婿は面目を施しました。その奇蹟を目の当たりにする特権を与えられたのは水を汲んだしもべでした(9節)。私たちも、しもべの役割を果たす時、イエス様の奇跡を目の当たりにする特権が与えられています!
主は真実なお方です。主の約束は、必ず、成就します!