未信者の上司に仕える方々には、次のようなアドバイスが与えられています。「自分の主人を十分に尊敬すべき人だと考えなさい。それは神の御名と教えとがそしられないためです。」(1節)。一方、クリスチャンの上司に仕える方々にも、次のようなアドバイスが用意されています。「信者である主人を持つ人は、主人が兄弟だからといって軽く見ず、むしろ、ますますよく仕えなさい。なぜなら、その良い奉仕から益を受けるのは信者であり、愛されている人だからです。」(2節)。
さて、この世では、「利益」ということが重視されますが、聖書は次のように教えています。「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」(6節)。「衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」(8節~10節)。ドキッとした方はおられますか?「金持ちになりたい」いう願いは持たない方が良いようです。真の神の人になりたい人に対しては、次のように勧めています。「神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。」(11節~12節)。
私たちは、自分自身が富むことを求めるのではなく、富は必要な人々に分かち合うために与えられるものです。ですから、使徒パウロは、私たちひとりひとりに、次のようにアドバイスしています。「たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。」(17節)。イエス様の模範にならって、私たちも他の人たちに喜んで多くを分かち与えることが出来るように、富を与えて下さる神様に信頼して生活しましょう。そして、与えていただいた利益を自分のためだけでなく、人はみな死に、裁きを受けるのですから、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築きましょう。「まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。」(19節)。きょうの1日の歩みが祝福されますように。
恐れてはならない。主があなたとともにおられるのだから!