16章と17章において、指導者モーセやアロンの祭司職に対する反乱は、反乱を起こした者への裁きとアロンに対する主の召命の証しにより、解決しました。しかし、その根底には、レビ人たちとアロンとの間にある、お互いのプライドや祭司としての特権意識などが根強くあったようです。それで、主は、祭司職とレビ人たちの間の共働の関係を損なうことがないように、両者の役割について、その共働関係について、明確な指針を示されました。
主は、いつもの場合とは異なり、モーセを通して間接的に伝えることをしないで、アロンに直接、語られました。1節に「そこで、主はアロンに言われた」と記されています。「そこで」とは、16章から17章にかけての出来事を踏まえて、という意味です。もう同じような事件が起こらないように、改めて、大祭司であるアロンに直接、語られたのです。1節~7節は、祭司とレビ人の務めについて記しています。内容的には、①祭司職はアロンとその子らが担うこと、その任務内容。②祭司の任務を助けるために神からの賜物として与えられたレビ人、その任務内容。③祭司の取り分。④レビ人の取り分。などについて語られています。8節~20節は、祭司の報酬について記されています。①祭司職にある成人男子だけが食べることができるもの:「最も聖なるもの」と呼ばれているものです。穀物の捧げ物、罪のためのいけにえ、罪過のためのいけにえ、などです。②祭司の家族も食べることができるもの:「聖なるもの」と呼ばれています。①のいけにえ以外の奉納物、奉献物、さらに、主に供える初物、初なり、初子全部(ただし例外規定あり)、イスラエルの聖絶のもの、などです。21節~32節は、祭司とレビ人の関係について記されています。レビ人は祭司と同じように相続地はありませんが、祭司と同様に、イスラエル人からの奉納物である10分の1を受け取ることが出来ました。こうして聖所での務めに専従できるような仕組みが備えられました。レビ人は、イスラエル人の奉納物の10分の1の中から、その10分の1を、主への捧げ物としてアロンに渡さなければなりませんでした。こうして、祭司もまた、祭司の務めに専従できるような仕組みが備えられました。主は、レビ人や祭司がイスラエル人の捧げものによって生計を支えられるだけでなく、イスラエル人もまた、彼らが捧げる行為をとおして、神が彼らの生計を祝福されるという仕組みを備えられました。このように、主は、お互いに支え合うという秩序を設けてくださいました。民数記では、一般の民とレビ人と祭司の間には役割分担がありました。それは主が定められた秩序でした。一方、新約聖書でも似たような関係が記されています。使徒、預言者、伝道者、牧師、教師そして聖徒の関係です(エペソ人への手紙4章11節、12節参照)。そこに優越感や劣等感、プライドや妬みなどを持ち込んで、秩序を否定したり、軽んじたりしてはいけないのです。それをお互いに尊重することが、健全な教会の成長につながるのです。これらの職務は、優劣の関係にあるのではないこと、また、これはその人の業績によるものではなく、あくまでも、神からの賜物です。
きょう、わたしたちが置かれたところで、喜んで、責任を果たすことが出来ますように。教会でも、社会でも、劣等感や優越感に囚われることなく、それぞれの役割分担として、誠実に、仕えることが出来ますように。わたしたちの心を聖霊様の臨在によって満たしてください。
主は私たちの造り主、救い主、永遠の主です!