いよいよ、民たちは、エルサレムの城壁の再建にとりかかりました。まずは、民たちの先頭として、大祭司エルヤシブが再建にとりかかりました。民たちの模範でした。聖書の付録の「ネヘミヤ時代のエルサレム」(B.C.445年頃)という地図があります。これを見ると、理解しやすいです。「羊の門」(1節)はエルサレムの一番北の門にあたります。そこから西へ進み、更に、南へ、そして東へ、そして、北へ、城壁をぐるりと一周して、もとの「羊の門」(32節)へと戻るような順番になっています。3章で目立つことばは、「その傍らでは」(新改訳2017)「次に」(新改訳)(2,4,5,7、8,9,10,12、19節)、「その向こうでは」(新改訳2017)「そのあとに」(新改訳)(16,17,18、20,21、22、23、29,30,31節)ということばです。両方とも、隙間がないことを意味しています。城壁ですから隙間があると役に立ちません。一番、弱いところから敵が侵入するからです。ですから、大祭司を先頭に、役割分担で、隙間なく、再建する作業計画でした。さらに、その人の力量に応じて、奉仕が配分されました。ある人は、2か所も請け負ったひとがいます、コツの子ウリヤの子であるメレモテです(4節、21節)。また、ある人は、自分の家に面するところ(28、29節)、別の人は、自分の部屋に面するとことだけ(30節)請け負いました。また、身分もさまざまでした。地区の長や、金細工人や商人などもいました。彼らは慣れない土木工事を請け負いました。ところが、協力しない人たちもいました。「そのすぐれた人たち」(5節)、新改訳2017では、「貴族たち」と記されています。ときに、プライドが高い人は、協力しない傾向があります。
使徒パウロは、新約聖書の中で、キリストのからだである教会について神の奥義を明らかにしています。 「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。・・・キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ4章11―13節、16節)。ここにも、キリストの体である教会は、「一つ一つの部分(それぞれの兄弟姉妹)がその力量にふさわしく働く力により」建てあげられる、という原則が示されています。ネヘミヤ記3章は、教会を建てあげるための原則が示されている個所でもあります。私たちに与えられた賜物にふさわしく、教会の一員として、教会の成長のために喜んで奉仕しましょう。
主は私たちの造り主、救い主、永遠の王です!