さて、エジプトの王パロの圧政のもと、ひとりの男の子が生まれました。両親はその子が可愛いのを見て、3カ月も隠しておきました(へブル人への手紙11章23節参照)。使徒の働き7章20節には「このようなときに、モーセが生れたのです。彼は神の目にかなった、可愛らしい子で・・」と記されています。両親にとって、特別に可愛らしい、あるいは、美しさをみたようです。ところで、3か月も過ぎたとき、モーセの両親は、もはや幼子をこれ以上、自分たちの手では隠しきれなくなり、ひとつのことを決断しました。それは、パピルス製の籠(かご)に瀝青と樹脂を塗って沈まないようにして男の子を入れ、ナイル河の岸辺の葦の茂みの中に置くことでした。ここで「籠」と訳されていることばは、あのノアの箱船の「箱船」と同じことばです。つまり、このレビ人は、我が子が水による滅びから免れるために、箱船(パピルス製の籠)を造り、その幼子を入れて、神の御手に委ねたのだと思われます。そして、父親も母親も、その子の姉も、必死で祈っていたと思われます。その結果、パロの娘が籠の中の赤子をみて、可愛そうに思いました。そこにも、神様の働きがあったのです。パロの娘は、この赤子を自分の養子として育てる決断をしました(4節~6節)。しかも、姉のミリアムが機転を利かせたので、パロの娘は、その養子である男の子を、姉のミリアムが連れてきた女が実の母親とは知らずに、その子を養育させることになったのです(7節~9節)。そこにも、絶妙な主の導きを見ることが出来ます。こうして、その男の子の命は助かり、乳離れするまで、実の母親のもとで、しかもパロの娘からの養育費の支給を受けて育ちました。さて、その子が大きくなり、パロの娘の養子として、王宮で育つことになります。当時の世界最大の帝国であったエジプトの王宮で、モーセは最高の教育を受けることになりました。なんという神様の驚くべき御計画でしょう。パロの娘は、その男の子に、「モーセ」という名前をつけました。その理由は「水の中から、私がこの子を引き出したのです」ということでした。ここでは、水とは死や滅びを意味しています。これは預言的な命名でした。やがて、モーセは、その名前の通り、神の民を、エジプトという死と滅びの中から引き出す者(解放者)となったのです。主なる神は、パロの娘さえも主権をもってご自分の目的のために用いられたのです。神はイスラエルの民のために、モーセを解放者として備えておられました(10節)。

さて、モーセは、40歳近くになりました。モーセは、王宮で育てられたにもかかわらず、自分がイスラエルの民の一員であるというアイデンティティをしっかり持っていました。それゆえに、ある日、イスラエル人を救うために、モーセは自分の力で立ち上がりました。イスラエルの民がみな、自分を支持してくれるものと思いましたが、そうではありませんでした。それでモーセは、自分の民からも理解されず、一転して、逃亡者となり、エジプトの地を脱出しました(11節~15節、使徒の働き7章23節~29節参照)。エジプトを追われたモーセはミデヤンの地で平安を得て、しばらくの間、過ごすことになります。妻が与えられ、こどもも与えられました。そして、40年の歳月が流れていきます(16節~22節)。神のご計画はモーセが羊飼いとして訓練を受けることでした。この40年の間、イスラエルの民は、苦悩の中で、神に救いを求めて叫び続けていました。そして、その叫びはついに、神に届き、救いの計画が実行に移されることになります(23節~25節)。

私たちも、時には自分の力で神のご計画を成就させようとして失敗することがあります。しかし、その背後にある情熱を神様はご存知です。そして、その情熱を正しい方法で用いることが出来るように、しばらくの訓練期間を与えられます。そして、訓練期間が終了すると、主は、最も良い時に、あなたを主の器として用いられます。主の守りと祝福がありますように。

清宣教師