いよいよ、数十年間、廃墟となっていたエルサレムの再建です。まずは、城壁の再建です。大祭司エルヤシブが模範となり、率先して、羊の門の再建に取り掛かりました。皆様の聖書の末尾にある地図「ネヘミヤ時代のエルサレム」という個所を参照していただくと分りますが、1節の「羊の門」は、エルサレムの北側の城壁の一部です。そこから、左回りに、「メアのやぐら」、「ハナヌエルのやぐら」、「魚の門」というように、一巡して、最後は32節の「羊の門」に至ります。

大祭司と祭司たちを筆頭に、多くのひとが城壁再建に参加しました。ただ、5節に記されていますが、テコア人たちのすぐれた人たちは、彼らの主人たちの工事に協力しなかった、と記されています。「すぐれている」ことが協力の妨げになることがあります。これは、教会の会議などでも、自戒すべき点です。優れているゆえに、会議の一致を妨げてしまうことがあるということです。

さて、ごく一部の人を除いて、みながこの工事に参加しました。中には、金細工人、香料造りの人、商人たち(83132節)もいました。彼らは細かな細工や調合を手作業で行う職業でした。そのほか、娘たち(12節)や、一般の人たちでした。彼らは、石材や土砂を運ぶ労働には向いていませんでした。しかし、城壁再建という目的のために、みんなが協力したのでした。

この章に特徴的なことばがいくつかあります。そのひとつは、「次に」ということばです(24578910節など)。また、「そのあとに」ということばもあります(161718202122232427293031節など)。これらのことばの意味するところは、城壁を一巡する役割分担において、連続していて、破れ目がなかったことを意味しています。城壁において、一部でも破れ目があったら、城壁としての役割を果たすことが出来ません。みんなが手を伸ばして輪になって城壁を取り囲む光景を目に浮かべると分りやすいと思います。「修理」、「建てる」、「取り付ける」、ということばも多いです。なかでも「修理」ということばは、37回も出てきます。今回の工事の目的はエルサレムの城壁の再建であり、その工事の内容はほとんとが「修理」の働きであったということです。

さて、その修理の範囲ですが、目印となるものから、次の目印となるところまで、分担して修理しました。自分の住んでいる所からは遠い場合もありましたが、近くの場合もありました。その分担の範囲ですが、後半で良く出てくる表現ですが、「家に面するところ」「家の近く」(10232829節)などと記されています。さらには、「自分の部屋に面するところ」(30節)とも記されています。また、ある人(コツの子、メリモレテ)は2か所も分担しています(4節、21節)。それぞれの力量に応じて、分担されていることが分ります。

これは、新約聖書の教会の働きに関する個所を思い起こさせてくれます。次のように記されています。「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」エペソ人への手紙、416節です。

教会を建てあげる働きとネヘミヤの城壁再建の働きが、ダブって見えます。私たちの場合は、キリストのからだである教会、具体的には西多賀教会および普遍的教会の建てあげのために召されています。それぞれの力量に応じて、主にあって一致して建てあげましょう。

清宣教師