三神峯の あずまやに入り デボーション 外は激しき 雷雨が続く
朝5時半に起きた。外は前夜からの雷雨が続き、やむ様子がない。しかし、三神峯のデボーションの魅力には負ける。支度をして、三神峯の公園に登る。途中、雷鳴がとどろき、ルターの経験を思い出した。
ルターは青年のころ、一緒に歩いていた友達が、野原で雷に打たれて即死した。それで、ルターが悔い改めてイエス様を信じたという証しを思い出した。今朝は、さすがに、誰一人、公園にはいなかった。
あずまやに入り、屋根の下で、行きつ戻りつ、主を賛美した。あずまやの中で、気づいたことは、あずまやの隣にある一本の銀杏の樹に、数十万という小さな葉がついていることだった。
1時間ほどして、雨足が弱くなったので、いつものとおり、公園を1周して、祈りつつ歩いた。そのとき、公園の桜の樹も、ツツジの樹も、いろんな木々が同じだった。ものすごい数の小さな葉がついていた。
どんな大きな木でも、小さな葉から成り立ち、維持されていることを発見した。創造主の作品のひとつの特徴は、大きなものが、無数ともいえる、たくさんの小さな存在によって支えられていることだった。私たちの体もそうだ。60兆を超える小さな細胞から成り立っている。
私という存在は小さい。70億を超える人類の中で小さな存在である。しかし、そのような小さな私たちによって人類は成り立っている。大きな発見であった。ただ、ひとつの巨大な存在ではない。それは無数ともいえる、ひとつひとつの小さな存在によって支えられている。それがシントロピーである。創造の秩序である。