昨日は、詩篇40篇でしたが、解き明かしが難しく、皆さんに委ねてしまいました。しかし、おひとりの方から、次のような返信がありました。「ハレルヤ! いつもありがとうございます。今の私の乾いた心に、詩篇はすっと染み入る清水のようで、このところ癒されています。詩篇40篇の最終17節のみ言葉は、まさしく今の私の告白です。」とありました。この11章のみことばの解き明かしを超えて、聖霊なる神が、おひとりひとりに直接、感動を与えて下さっていることを再確認しました。

さて、きょうは、午前の祈祷会、夜の祈祷会がありました。なかなか、11章の文章を書くことが出来ませんでした。午前の祈祷会でも、夜の祈祷会でも、この詩篇411節のことばを朗読しました。

「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。」

そして、このみことばにならって、世界の難民、日本の被災者の方々のために心を合わせて祈りました。また、いのちの水計画のMご夫妻の働きを覚え、迫害下にある中国の黄土高原地域の方々のためにもお祈りしました。西多賀教会が関わりをもっている、美田園第2、第3仮設の方々のために、また、被災地農家のOさんご一家のためにもお祈りいたしました。

きょうの詩篇41篇の個所は、誠実に生きていても、邪悪な人たちはいるということです。しかし、そういう人間関係の中でこそ、誠実な生き方をすることが、主の御姿を反映する生き方であることを覚えます。「誠実を尽くしている私を強くささえ、いつまでも、あなたの御顔の前に立たせてください。」(12節)。まさに、神の御子の栄光を鏡に映すようにして、栄光から栄光へと変えられる生活です。聖霊様は、いつも、私たちの内に働いておられます。

清宣教師