今朝、妻が「今日の11章、良かったね」と言った。今日は心臓のカテーテル検査のための入院の日でした。朝10時まで日赤病院に送りました。そして、検査の概要について、とくに、検査中のあらゆる危険性について詳細な説明がありました。明日、心臓の冠動脈にカテーテルを挿入して、そこから造影剤をいれて、冠動脈の写真をとり、どこか血管が細くなっている所がないかどうかを調べるのです。その結果により、ステントを入れるかどうかなど、診断するそうです。説明を終えて医師は、今晩、緊張で眠れない時のために睡眠薬を出しておきますよ、と言いました。確かに、初めての検査で緊張するのは避けられないようです。詩篇61篇は、ちょうど、妻の心にフィットしたようです。私の心にも響く詩篇でした。

さて、内容的には、2節に記されているように、神の都エルサレムから遠く離れた「地の果て」からの叫びです。そこから、神の幕屋のあるエルサレムに帰ることを願う詩です。

1節―4節は、地の果てからの叫びと願い。5節―8節は、神の御前での確信と決意です。

信仰者でも、気落ちする時があります。しかし、主への嘆願と祈りを通して、執り成しの祈りを通して、確信へと導かれるのです。そして、地の果てにある者にも豊かな救いが与えられました。

そのように、現在の私たちにとっても、心が衰え果てる時、あたかも地の果てから呼ばわるように思える時でも、主は救いをもたらしてくださいます。病気や試練を通して、主から遠くにあると感じる時でも、主の真実は変わりがありません。

きょう、仮設でのおはなかふぇがありました。その中で、被災者の方が心の苦悩を吐露されました。あの311日のわずか数分のうちに全財産を奪われた気持ちを、行政担当の係の人が分って欲しい、と言っておられました。仮設の将来について、説明があるのですが、その都度、担当者が変わり、話の内容も変わることに憤りのようなものを感じておられるようでした。きちんと首尾一貫したプランで、自分たちの歩みを後押しして欲しいという切なる願いを感じました。

そのために、私たちも執り成しの祈りをしていかなければならないという強い思いを与えられました。これも[地の果て]からの叫びのように思います。震災から4年が過ぎましたが、確かな道筋が見えてこない被災者の方がおられます。仮設の人たちの未来が見えてくるように、行政のひとたちの適切な支援がなされるように、お祈りしたいと思います。

清宣教師