44章では、エジプトに離散していた民たちが集まってきます。そこで特に、女性たちが大声で「私たちが天の女王を礼拝していた時、パンに飽き足り、私たちは幸せであった。それをやめたときから、すべての悪いことが起こったのだ。だから、私たちは天の女王を礼拝する。」と宣言しました(15節~19節)。先にエジプトに離散していた民たち、その妻たちは、主への礼拝から心が完全に離れていたのです。彼らの価値観、世界観は、エジプトの民たちの価値観や世界観によって変わってしまっていたのです。そこで、最終的に、エレミヤは、主が必ず、裁かれることを宣言しました(20節~30節)。なんという結末でしょう。エレミヤは、自分の晩年を、主のことばを伝えるために、あえて、ユダの残りの民たちと一緒に歩む人生を選んだのですが、現実は拒否でした。まったく、エレミヤは四面楚歌の状態で、エジプトでの晩年を送ることを余儀なくされました。今日の44章の預言こそ、エレミヤの生涯で最後の預言であったと言えます。
今日の聖書箇所に関連して思うことですが、エレミヤの生涯は、この世では報われない人生でした。だからこそ、天において、途方もない、大きな大きな報いが与えられるに違いありません。みなさまの人生においても、クリスチャンだからといって大きな祝福をうけるどころか、忍耐を強いられる人生であるかもしれません。しかし、天における報いは大きいのです。「隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いて下さいます」。
清宣教師