29章は反意的パラレリズムが多い。全体を統一するテーマを見出すのは難しいが、およその区分としては、1節―14節は、王と政治について。15節―21節は、教育について。22節ー27節は、穏やかさと謙遜について、述べている。4節:「王は正義によって国を建てる。しかし重税を取り立てる者は国を滅ぼす。」・・・ここでは良い王と悪い王が対比されています。重税を取り立てるのは、主のみこころではないことが分りますね。重税を取り立てるのではなく、王は格差をなくし、国民全体の福祉と守り、その生活を繁栄させるのが良い王です。それこそ、正義によって国を建てることです。話は変わりますが、数年前、全世界の国で、子育て中のお母さん方に、「あなたは子育てが楽しいですか?」というアンケートを実施した結果、フランスやアメリカでは、楽しいと答えたお母さんが、70%を超えていましたが、日本では、20%程度であったという結果が出ています。日本では、5分の4のお母さんが、子育てに楽しいと答えることが出来ない状況にあるということでした。育児放棄や幼児虐待などのケースも増えていることと一致します。まずは、子育て中のお母さんが、楽しいと答えることができるような条件を整える必要があると考えられます。このためにも、良い政策を立案できるように、石破首相や閣僚のうちに、知恵が与えられますように、ぜひ、心を合わせて祈りましょう。13節:「貧しい者としいたげる者とは互いに出会う。主は、この両者に日の光を見させる。」・・・主は創造主です。貧しい者も、虐げる者も、主の作品です。主は、彼らを創造の目的にかなって回復しようとされています。貧しい者は富む者に、虐げる者は愛を示す者に回復されます。私たちは、主の創造のみわざだけでなく、十字架の罪の贖いと復活による、主の回復のみわざを信じて祈る必要があります。
25節:「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」。私たちは、キリストと共に死んだものです。墓に葬られた者です。キリストの復活のいのちにあって生かされ、聖霊様の導きにより生かされている者です。ですから、本来、人を恐れるはずがありません。人を恐れるとサタンの罠にかかってしまいます。罠というのは、もがけばもがくほど、絡み合って、そこから抜け出すことが出来なくなります。私たちはキリストにあって過去に死んだ者です。そして、未来に生きる者です。人ではなく、創造主なる神を畏れることです。そこには、報いがあります。
今日の聖書箇所から教えられることは、主を信頼する人になることです。この世において、私たちは主の義を確立する責任を負っています。人を恐れていたら、それは出来ません。この世に、御国をもたらすことが私たちの使命です。でも、人を恐れていたら、それは出来ません。私たちは、とてつもなく、大きな使命を主から与えられています。私たちは「神の民」だからです。
主は私たちの造り主、救い主、永遠の主です!

